教会報第183号 巻頭言
イグナチオ・デ・ロヨラ渡邉泰男神父
  


初めまして、加藤神父が大変お世話いただき、岡田大司教に代わり、御礼申し上げます。岡田大司教から叙階の秘跡を受けた岡田チルドレンとして、下町宣教協力体の本所聖堂共同体の主任司祭として任命を受け、東京教区の優先課題の遂行に努める所存です。が、私は現在、日本カトリック部落差別人権委員会担当司教秘書とし、日本カトリック社会司教委員会のいち秘書として、また、東京教区ボランティアセンター(CTVC)運営委員会としても任命を受けておりますので、以前の神父様達とは全く新種のものでありますので、皆さまの忍耐とともにご容赦いただくことを、少なくとも三年間お願い申し上げます。

 そこで、私が3月4日土曜日の午後に母の看取りの貴重な体験をお伝えします。母が旅立つ約1時間前、高速道路がガラガラで、吸い込まれるように流山市から杉並区の母のいる特養の施設に行きました。ちょうど着いた時、看護師の方が危篤の電話をする時で、そのとき、やっと私は母の死という出来事に直面させられ、覚悟させられました。母は口を大きく開けて目をつぶって大きな呼吸をしていました。「息子さん、お母さんに声をかけて下さい」という看護師に促され、涙をこらえ、「泰男がきましたよ」なんて言えませんでした。やっと発したことばが、「渡邉神父、来ましたよ」と。私にとって精一杯の声かけでした。母は目を開き私を見つめ、微笑みを浮かべながら、また目をつぶって大きな呼吸を続けました。最初、意味不明なことばを言って、私には聞き取れませんでした。私が手を握りながら、「病者の塗油」を授けたのちに、「わからない」「わからない」ということばを何度となく繰り返し、うわごとのように発していました。天国がわからないのか、旅立ちの道がわからないのか、その真意は私にもよくわかりません。が、既に旅立って行っている父や、母の叔母の名前を呼んで、そっちに行ったら、「よろしくって伝えて」と大きな涙声でいうと、そのうわごとは収まり、大きな口を開きながら、最後の力を絞って息をしてました。逝くちょっと前に二回ぐらい眉をひそめました。あっ最後の「受難と十字架」かなと思い、私が「ちょっと頑張れ」と伝えると、それから呼吸がだんだんと小さくなり、息を引き取りました。「神のもとに旅立ったなあ」と思った瞬間です。そして、徐々に顔つきが寝ているようになっていきました。
 多分、私たちが旅立つとき、意識はなくても周囲の声はわかるようです。私たちは聖書を通して「復活」の出来事を信じ、そこに大いなる希望を抱いて生きて行きます。でも、本当はわからないのかもしれません。が、生きている時に、復活されたキリストに出会い、また人を通してキリストと出会い、日常の出来事を通して真に主キリストと出会いを深めたいものです。

   そこで、宣教論には「種まき論」と「刈り取り論」という二種類の考え方があります。伝統的に教会は「種まき論」を奨励します。が、ヨハネ福音書は、刈り取り論です。つまり、主キリストが受難・十字架を通して、復活された出来事によって、神の救いの偉業が行なわれたのです。その大いなる働き、つまり人類救済の業は、ビックバンで宇宙が出来上がりつつ膨張しているように、現在もこの地上でこの業は広がり働いています。それが善人にも悪人にもです。信者であろうがなかろうがです。私たちキリストの弟子にとって、その働きに接し遭遇した体験が、主キリストが復活のあかしになるのです。日常生活で、どう考えてもありえない出来事、ありえない出会い、ありえないことを、主の仕業、いや、主キリストの働きと感じられるようになりたいものです。ですので、福音に反しないかぎり、皆様がおやりになりたいことをおやりになって下さい。主のお望みなら、大いなる実りを体験するからです。しかし、今までおやりになってきて実りがないのなら、主のお望みでなく、あなた方人間の望みであり、執着を捨て、十字架にかかってその思いに死ななければならないでしょう。



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