「復活節第5主日」(A年) 説教
2011年5月22日・加藤 英雄師



ペトロがイエスに問います。主よ、どこに行かれるのですか。イエスは答えられる。わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることが出来ない。主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。(ヨハネ13・36-)イエスは言われます。わたしは去ってゆく。心を騒がせるな。

 主が去って行ってしまうと聞いて、そして、主の行く所について行けないと聞いて心が騒いでしまう。動揺してしまう。どのような事が起こっても、心を騒がせてはいけない。すべての出来事は神様のみ心のうちにある。あなたは神様を信じている、神様の内にいるのではないですか。 わたしは父のもとに行く。そして、父のもとにあなたがたの場所を用意したら、また戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える。その時、わたしとあなたがたが出会う、あなたがたはわたしと一緒にいる。わたしの行く道をあなたがたは知っている。 トマスが言います。わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることが出来るでしょうか。イエスは答えられます。わたしは道であり、真理であり、命である。 わたしを知りなさい。わたしの中に入って来なさい。その時、あなたがたは父を見る。父を知る。

 道:イエスが歩いている道。イエスの歩かれる道がイエスの姿になって行く。いや、イエスの姿が道である。イエスの姿を見つめていると、自分の歩むべき道が見えてくる。

 弓の話があります。弓道の人が言います。弓道は技術ではない、心と的がつながった時、矢が的に当たる。イギリスの雑誌記者はそれを聞いて、そんな事はないという。狙って弓を打つ。技術を磨く。弓道も練習によってうまくなる。雑誌記者と弓の人と勝負をする事になる。ろうそくが一本、灯もされた。雑誌記者はこのためにひたすら練習に励んだ。雑誌記者が矢を射る。的がよく見えない。3本4本はずれる。当たらない。弓の人が射る。真ん中に刺さる。これは何か。弓の人は言います。的を見ていると、的がわたしの前に見えてくる。的を見る、心と体で見る。弓の道がある。

 真理:イエスは「まこと」の方。手のひらに見えるもの、見えないもの、全部を持たれる方。すべてのもの、全部に声をかけ、芯を握っておられる方。すべてを包まれる方。手のひらに「命」「永遠」を持つ方。
命:神様からの生きる命。生きている喜び。ここにいる喜び。命が光となって輝く。命はつながっている働き。

 心を騒がせるな。あなたは神様を信じているのではないですか。信じるとは起こる出来事をすべて受け入れることです。自分がどのようになっても神様のみ心のままにありますと言うことです。喜びを大いに喜ぶ。悲しみ、苦難、苦しみを受け入れる。  イエス様がわたしたちに問います。わたしを信じていますか。
心を騒がしてはならない。こんなに深く交わっているのに、まだわたしを知らないのですか。

 


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