「復活節第6主日」(A年) 説教
2011年5月
29 日・加藤 英雄師


イエスは言われます。わたしはこの世を去る。しかし、父は別の弁護者を送ってくださる。弁護者、この方は聖霊、神様です。弁護者、聖霊はいつもあなたがたと一緒にいてくださる、いつもあなたがたを守ってくださる、助けてくださる方です。聖霊によって包まれている。聖霊によってイエスを思い起こす事ができます。わたしはあなたたちから離れて行ってしまうのではない。聖霊によっていつもあなた方と共にいる。
イエスは言われます。あなたがたはわたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。掟を守ることが愛している証しなのですか。
掟とは戒め、命令です。キリストの生き方、キリストの姿がわたしたちに求めている、その求めている事が掟となるのではないでしょうか。キリストの姿に「愛」を見ます。キリストの姿、愛の姿、それが「善」です。そしてキリストの生きて来に道に神様への従順を見ます。
掟を守る、イエスを愛しているならイエスの思いを求めます。イエスの姿を求めます。イエスの願いを求めます。イエスの願いが掟となるのでしょう。愛しなさい。命を懸けても愛しなさい。愛はその人と共に生きることです。愛は神様の命を生きること。自然の支えの内に生きること。人の支えの中で生きること。そして自然を支える力となる事、人を支える力となる事です。
世はわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。聖霊によってわたしはあなたがたと一緒にいるようになる。イエスが新しい命のうちに生きていることを、わたしたちは聖霊によって知る。そして、イエスは聖霊によってあなたがたの中に生きる。
聖霊は真理の霊。真理:見えるもの、見えないものすべてを造られる神様のみ旨。「いのち」を超える、「いのち」の大もととなる神様の思い。真理の霊が見えないものを見えるものとしてくださる。現実に働くものとしてくださる。そして、真理の霊がわたしたち一人ひとりを包んでおられるのです。
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。
わたしの愛のうちにいる人はわたしの父に愛される。わたしの愛の中にいる人の内にわたしは住む。
キリストを信じている。キリストは十字架にかかった者ではないか。貧しい者を大切にするのか。キリストはわたしたちの主です主の思いを丁寧に語りなさいと教えられます。 キリストの道を歩む者がなぜそのように苦しむのですか。 たくさんの疑問に、たくさんの質問に穏やかに、敬意を持って答えます。ペトロは言います。正しい者が正しくない者のために苦しむ。これは大きな愛ではないですか。善を持って苦しむほうが悪を行って苦しむよりは良い事が分かるでしょう。

 


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