「三位一体の主日」(A年) 説教
2011年6月19日・加藤 英雄師



イエスが復活された。弟子たちは新しい命に生きるイエスを見た。復活を知った。そして、50日後、聖霊降臨を迎えた。聖霊によって、イエスが何であるかを知る。聖霊によって十字架を知る。福音を知る。光、愛、命をますます知る。心と体がイエスの内に入って行く。そして、今日、特に三位一体の神様を思います。

聖書の勉強会などでわたしたちの神様の名前は何ですか、と聞きます。イエスです。イエス・キリストですと言う。その通りです。イエスは神様です。でも、イエスと言う名は神様の本名ではない。神様の正式な本名は「父と子と聖霊」です。本名と言う言い方が正しいしいかどうか分かりませんが…。「父と子と聖霊」・三位一体の神様がわたしたちの神様です。三位一体…神様が三方おられる。父という神様。子という神様。そして、聖霊という神様。三位一体の三位は三つの位格です。位格と言うのは、他と違った主体という意味だそうです。父と子と聖霊がそれぞれ違った方として働いておられるのです。そして、一体。三方は全く同じ方です。父と子と聖霊は全く違う方ですが、全く同じ方なのです。
実は、神様は一つでなければなりません。造られた世界は一つです。おおもとは確固とした芯一つ。見えるもの、見えないものすべてのものが、一つの方によって造られたのでなければ世界は一つではなくなります。時間が一つ、空間が一つ、命が一つです。

神様が宇宙を、世界を造られた。三位一体の三位のお方はどのようにして、世界を造られたのでしょうか。父なる神が宇宙、世界、人を思う。造ろうと思う。子が父の思いをすべてそのまま受け取り、聖霊が父と子の思いを、自分の中に受け取り、創造を始めます。ほんの一瞬にして宇宙が出来ます。

父と子。子なる神は言います。子は父がなさる事を見なければ、自分からは何も出来ない。父がなさる事は何でも、子もその通りにする。(ヨハネ5・19)わたしは自分では何も出来ない。…… わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方のみ心を行おうとするからである。(ヨハネ5・30)

聖霊は父と子の思いを行う、実現する方です。父と子は全く違う存在、しかし、全く同じ存在。父と子が聖霊によって一つに交わっている。父の思いが子に伝わっている。父と子は全く別々な方、しかし、聖霊によって全く同じ存在。子は聖霊によって父を見る。また、聖霊によって父の内に入る。聖霊がおられなかったら父と子は交わらない。出会いがない。父と子は聖霊によって一つ。交わりの内に一つである。

父は世を愛される。深く、深く、本当に深く、独り子を与えるほど世を愛される。父の愛が聖霊によって働くものになる。そして、聖霊によって子が世に生まれました。神である子は人として生きる。十字架につけられました。心の苦しみ、体の苦しみがあった。父は子に人の罪を、すべての罪を背負わせた。
子は父に祈る。 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」(ルカ22・42) 父は言われる。お前はわたしの子。わたしに従順になりなさい。わたしの言葉を受け入れなさい。子は答える。「はい、父よ。」
父の思い、愛が聖霊によって働くものとなるのです。

父と子と聖霊の神様がわたしたちの世界で働かれている。父と子の御心が、恵みが、命が聖霊によってわたしたちの内に働いている。わたしたちはイエスを通して父を知った。イエスを通して聖霊を知った。父は子によって命の尊さを示された。愛の大きさを示された。従順とは何かを示された。永遠の命を示された。父は聖霊によって子と交わり、子は聖霊によって父のみ心を行った。子を見るものは父を見るもの。父を信じる者は御子を信じる者。救いとは主と共にいること、神を信じる事です。
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。父を見ていないからである。御子を見ていないからである。

命を与えてくださる、愛を注がれる、平和を造る力を与えてくださる神様、父を信じます。子を信じます。聖霊を信じます。三位一体の神様を信じます。

 


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