「年間第15主日」(A年) 説教
2011年7月10日・加藤 英雄師

 

わたしたちのこの社会には平安がなくなってきている。子供たちが集団で学校、幼稚園に行かなければ安全が保たれない。鬱憤を晴らすために殺してしまおう、そんな事件が起こっている。わたしたちを物の豊かさが支配している。
この世は悪魔の支配下にあるのではないか。悪魔は見えるものの支配者としてこの世を支配したい、支配力を強めたい。世の繁栄、この世の繁栄の力、繁栄への熱情、この世の力をすべてお前にあげよう。わたしにひれ伏し、拝むなら。(マタイ4・8b―9)物によって、お金によって人も支配できる。神様、力をください。人を大切にするから物が生まれる。便利になる。人を大切にするから、人のために、隣人のために働く。
パウロの手紙を読みます。わたしたちは自分たちの中にうごめく欲求、欲望の力、誘いに平安を失っています。わたしたちは悪魔に配されている。わたしたちを苦しみから解放してください。わたしたちは、被造物は神の子たちの現われるのを待ち望んでいます。神の子によって解放される。神の子は人が苦しんでいるすべての罪を受け留めておられる。わたしたちが自分の罪を悔い改め新しく進む時、罪から解放される。

種を蒔く。言葉を蒔く。言葉は出来事。言葉は動く物。人と出会って種を蒔くのです。出来事を蒔いて出来事が生まれるのです。人と出会って神様の出来事が起きる。  雨が降る。雪が降る。雨が降ると、雪が降ると、大地が潤される。種が芽生える。草木が成長する。ついには食べる人のパンとなる。すべての出来事は空しくは起こっていない。出来事は神様の御心。大地がある。種が用意されている。わたしの言葉は力。わたしの望むところを行う。わたしの言葉はわたしの望む出来事となる。

イエスは家を出ました。大勢の群衆と出会う。イエスは群衆に語られる。イエスが始めの種蒔きになったのです。イエスは人々を誘います。種を蒔く者になりなさい。種を蒔く。大雑把に蒔く。精一杯大雑把に種を蒔く。
始めにキリストが種を蒔いた。そして次はキリストの話を聞き、キリストの御心を心に留めることのできた人が、キリストが蒔くように種を蒔くのです。大雑把といいましたが、自分が受け取った御言葉によって種を蒔くのです。神学の力を持って種を蒔くのではない。時に、全く耳を貸さない者がいる。また、聞いてくれる人がいる、その人に種が入って行きますように。しかし、ある者は芽が出ても少ししたら枯れてしまう。ほかのものは茨の間に落ちて、ふさがれて伸びない。もったいない? 種は神様からどんどん与えられる。出会いなさい。語りなさい。
土地は誰ですか。木の実を結ぶ土地を持っている。木の実を結ぼうとしない土地を持っている。聞こうとしない。見ようとしない。聞いても悟らない。見ても認めようとしない。天の国が来ている。見ようとしない。天の国を考えようとしない。その人たちは語っている人が見えないのです。語っている人は自分にとって縁のない人なのです。自分たちの生活にかかわりのない人なのです。

種を蒔く者となりなさい。語るものとなる。実を結ぶ土地になりなさい。み言葉を聞き、心に受け留めなさい。善い土地になる。よい土地にみ言葉が蒔かれる。よい実が生まれる。平安が生まれる。生きる喜びが生まれる。死を超える「いのち」が見える。
よい実を食べてください。人を大切にする社会を造ってゆきます。穏やかな、おおらかな、ゆったりとした、ほほ笑みのある社会を造ってゆけますように。


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