「年間第17主日」(A年) 説教
2011年7月24日・加藤 英雄師

 

ソロモン王はダビデ王のあとを継ぎました。ソロモンはイスラエルの王。主はソロモン王に問われます。何事でも願うがよい。あなたに与えよう。ソロモン王は答えます。わたしは小さい者、一人前とは言えない者です。仕事も十分には出来ません。しかし、わたしに与えられた役割は大きい。あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断する事が出来るように、この僕に聞き分ける心をお与えください。主はこの願いを喜ばれた。

神様がわたしたちに、何でも一度だけ願い事をかなえてあげます。あなたの願いは何ですか。何が一番欲しいのですか、と問われたら。わたしたちは、つい、自分の思い、欲求を考えてしまいます。 ある童話では、わたしの手が触った物はすべて黄金になる―そんな力が欲しい。そんな願いをかなえてもらった人がいました。人は無意識にいろいろなものに手を触れている。黄金に変わって欲しくないものまで、黄金に変わってしまう。食べものが食べられない。人と握手できない。寝ようとしても布団に入れない。服も着られない。黄金があれば何でも出来る、黄金は万能だと思っていた。しかし、手に触れてしまうから、食べ物が黄金になる、食べ物でなくなってしまう。寝る事もできない。 わたしなども自分の思い、欲求を考えてしまう。空を飛ぶようになりたい。苦しんでいる人が来た時、その人の心に向かって、邪念を捨てなさい、平和になれと言ったらその通りになる。また、病気を癒す力があったらいい。自分の願い事を考えていたら、何か子供にようになってしまいます。自分の思いのままの自由でありたい。自分の世界が完全であったらいい、そんな子供の信仰になってしまう。

ソロモンは自分のための喜びを求めなかった。主はソロモンの願いを喜ばれたのです。主は言われる。あなたは民のために、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。わたしはあなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。

天の国に入りたい。天の国はこの世にあるのですか。天の国はこの世から出発しています。天の国は門があってそこから入るのではありません。今、ここから入るのです。イエスはたとえで天の国を示されます。畑の農夫さん。天の国は土に隠された宝を見つけたときから始まります。自分の畑を持っていますか。畑の仕事に何を見つめていますか。その仕事に何を求めていますか。あなたの畑は何ですか。 宝石商人が良い真珠を得るために旅をしています。方々で真珠と出会っています。本当に美しい真珠を見つけたら、今持っている全財産を売り払い、その真珠を買います。その真珠とは何ですか。
湖に網が投げ込まれ、魚を取ります。網いっぱいに取る。人をとる漁師になりなさい。 イエスは弟子たちに問います。あなたがたは天の国の様子が分かりましたか。

天の国は神様が隠している? いえ、わたしたちの欲求の心が天の国を見えなくしているのです。
神様の隠された宝物を見つけた。その喜びを大切にするために、今持っているものをすべて捨てて、そこに行き、働く。たとえば、修道生活の中に、祈りの生活の中に、奉仕生活の中に宝物を見つける。自分の生活の畑の中に宝物を見つける。
孤島に行くようになって、一冊だけ本を持っていってもいいよといわれた時、あなたはどの本を持って行きますか。聖書を持って行きます。ずっと以前、その記事を読んだときよく分からなかった。聖書はそれほどいいのか。今、分かります。聖書に真珠の輝きを見ます。聖書が「いのち」に呼びかける宝物です。
魚を捕る。ついに網の中の魚が引き上げられ、良いものと悪いものに分けられる。悪いものとは天の国の光に気がつかない人です。
隠されている。そこへの道を歩く。土に埋もれてから、鍬で土を掘る。
天の国は働くものの内にあります。

天の国は神様のみ心の内にある。み心が行われた時、天の国が現われる。天の国はイエスの姿の内にある。自然の豊かさに感謝し、隣人のために働く姿の内にある。天の国はイエスの姿の内に隠されている。天の国に向かって歩みます。

 


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