「年間第19主日」(A年) 説教
2011年8月7日・加藤 英雄師

 

 神様はどこにおられるのですか。神様とどのようにして出会えるのですか。
イスラエルにバール礼拝が許されている。アハズ王はシドンの王の娘、イゼベルを妻としていた。王妃イゼベルはバール礼拝のために預言者を連れて来ている。エリヤはそれを激しく非難する。ついにエリヤとバールの預言者は戦う事になる。どちらが本当の神か。神はエリヤに答えられた。神の業が示された。エリヤは勝った。エリヤはバールの預言者450を殺した。イゼベルはそれを知り、エリヤを殺そうとした。エリヤは逃げた。40日40夜歩き続け、ついに神の山ホレブ山に着いた。エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。主がエリヤに語られる。主の前に立ちなさい。その時、非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中には神様はいなかった。地震が起こった。火が起こった。しかし、地震の中にも、火の中にも主はそこにおられなかった。火の後、静けさが起こった。静けさが周りを支配した。激しく、地を揺るがす力の中に、見える力の中に主はおられない。静けさの中に入ってゆく。静けさの中に神様の言葉に耳を傾ける。エリヤはその静けさの中に神様を感じた。激しく動く風、地震、火に神を捜しているのなら、その力に神様を見ているのなら、それは本当の神ではない。
静かに、神様と語り合いなさい。神様はすべてのものの主。すべてのものを包んでくださる方。生きなさい。わたしはいつもあなたと共にいる。

ヨハネが首をはねられた。イエスはこれを聞いて、人里離れた所に退かれた。群衆はイエスを追う。イエスは群衆を見て深く憐れみ、病人を癒された。そしてイエスは食べものをお与えになった。一緒に食事をする。イエスは命のパンを人々にお与えになった。人々はパンを食べて満腹した。イエスは弟子たちを舟に乗せ、向こう岸に行かせた。舟は教会。湖、海は社会。イエスは群衆を解散させ、祈るために山に登られた。湖は逆風、波が高い。舟は岸から何スタディオンか―600メートルぐらいでしょうか―離れていた。逆風のため、逆波のため、舟は揺れ動いている。夜が明けるころ、原文では第四の時間とあるそうです、午前3時から6時までの間、夜明けは神様がすくいの手をさし伸べるときです、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは不安の内にいる。イエスを見た。恐れた。叫ぶ。幽霊だ。弟子たちは教会にいる。神様を見つめていなかった。イエスは話しかけられる。安心しなさい。わたしだ。恐れる事はない。「わたしだ」とは「エゴ エイミ」、「わたしはある。」と言っているのです。これこそ神様の名前です。(出エジプト3・14)
ペトロはイエスを見て安心する。イエスに神様を見た。わたしも水の上を歩きたい。水の上を歩いてそちらに行きたい。そちらに行けるよう、命令してください。ペトロは水の上を歩いた。イエスの方へ進んだ。ペトロはふと思った、自分は水の上を歩いている、強い風が吹いている。怖くなった。すると、沈み始めた。「主よ、助けてください。」 イエスは手を伸ばしペトロを捕まえた。信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。

舟に乗って向こう岸に行く。教会が目指す岸は、天の国です。湖の魚を舟に引き上げて行く。人をとる漁師になる。湖は、社会の有様はいつも荒れているのではないかと思います。湖が荒れても、舟の中にいる。主と共にいる。

祈ります。心静かに、神様の思いを聞きます。心静かになったとき、神様に包まれている事が分かる。自然の姿が見える。隣人の姿が見える。
人をとる漁師になります。



戻る