「年間第20主日」(A年) 説教
2011年8月14日・加藤 英雄師

 

  バビロニアがペルシャによって滅ぼされた。イスラエルの人のバビロン帰還が許され、BC515エルサレムに神殿が再建された。バビロンからエルサレムに帰った。信仰の都エルサレムを再建する。しかし、エルサレムに帰っても、豊かな耕地は他人のものになっている。石をどけながら畑を作った。貧しいながらも、神殿を造る事をやめない。イスラエル復興のために祈った、働いた。神殿が出来た。しかし、栄光は来ない。何も変わらない。何も起こらない時代が続いた。民の中に失望と倦怠が静かに広がっていった。
主は言われた。正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し わたしの恵みが現れるのは間近い。わたしのもとに集まってくる異邦人に目を留めなさい。異邦人が主に仕え、主の名を愛し、僕となる。安息日を守り、契約を守るなら、異邦人はわたしの祈りの家の喜びの家に連なる。彼らがいけにえをささげるなら、わたしの祭殿でわたしはそれを受けいれる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
新しいエルサレムはすべての人の祈りの家となる。イスラエルがバビロニアに滅ぼされた。そして、バビロン捕囚が起こった。イスラエルがなくなってしまう。この大きな試練は新しい出発をもたらした。
神様はすべての人を造られたのです。神様の思いは、すべての人が神様への道を歩む。生き生きと歩む。喜んで生きる。異邦人とつながる時、異邦人が友達となる。異邦人が神様を知るものとなる。異邦人と一緒に祭壇で祈る。異邦人ではない。新しいイスラエルだ。

カナンの女がイエスのところに来て言う。「主よ、ダビデの子よ。わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」カナンの女はティルスとシドンに住んでいた。ティルス、シドンはガリラヤ湖のもっとずーっと北にある町です。カナンの女の人は異邦人です。カナンの女は叫びながらついてくる。弟子たちが願う。「この女を追い払ってください。叫びながらついてきます。」イエスはその女の人に、その叫び声に返事もなさらなかった。わたしはあなたを知らない。わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか仕わされていない。しかし、女の人はイエスの前にひれ伏して願う。「主よ、どうかお助けください。」イエスは言われます。「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない。」女は言う。「ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」イエスは天の父のみ心に従って宣教を始めている。イスラエルを立ち返らせなさい。天の国はわたしのもとにある。天の国は神様と共にいること。その平安。その喜び。神様と共に歩む事。共に働くことではないか。律法によって歩む道は天の国に向かっていない。
イエスはこの女の人に神を求める心を見た。わたしたちは神を知らない犬です。犬も神様から造られた生きるものです。小犬も食卓から落ちるパン屑はいただくのです。この求める小犬に目を留めてください。
イエスは答えられます。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」 婦人よ、あなたは神様の憐れみを知っている。神様を求めている。これからも、神様を心に留めて生きなさい。
天の父は苦笑いをしている。異邦人に扉を開こう。神様を求める者にわたしを示そう。

神様を知らない者は罪人ですか。隣人です。わたしたちは隣人とつながる。
いや、それ以上にわたしたちの信仰は神様に向かっていますか。

 



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