「年間第26主日」(A年) 説教
2011年9月25日・加藤 英雄師

 

それなのにお前たちは「主の道は正しくない」という。
神様は言われました。「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負う事はない。」(エゼキエル18・20) 
イスラエルはバビロンに捕囚されている。今、この罪の状態は先祖の悪のためであると、民は言います。父の罪によって子が罪の世界に入ってしまう。だから子は父の罪を担っている。子は父の罪のために苦しむというのです。捕囚にいるイスラエルは先祖の悪のために今苦しんでいるのだ。
取捨言われます。そうではない。捕囚の世界はあなたがたに与えられた試練の場ではないか。この場で善を行いなさい。悪の世界が与えられたといって、悪い者になっていいのではない。今、あなたは何を求め、どのように歩いているか。悪の世界の中にいて、そのまま、その欲求を満たす生活を続けていたいのか。先祖の罪、父の罪のうちにいるから、あなたたちは悪人になっても仕方ないというのか。そうではない。どんなところにいても、何が起こっていても、神様を見つめる者となりなさい。エルサレムを求める。あなたが正義を行う者となるのです。
主の道に、神様のみ心を知った。今、ここから神様の道を歩みます。その時、「いのち」が見えます。生きる喜びが見えます。

イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長、民の長老がイエスに近寄って来て言いました。何の権威でこのようなことをしているのか。誰がその権威を与えたのか。また、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛を倒されたのです。そして、目の見えない人、足の不自由な人たちを癒された。祭司長、律法学者たちはイエスのなさった業を見た。子供たちまで「ダビデの子にホサナ」と叫んだ。祭司長、律法学者は腹を立てたのです。 あなたはそのような事をする権威があるのですか。

イエスは怒っている祭司長、民の長老たちにたとえを話されます。ある人に二人の息子がいました。お父さんは兄のところに行って言います。「子よ、今日、ぶどう園に行って働きなさい。」兄は「いやです。」と答えました。ぶどう園は神様が用意された畑。きっと、賃金が安い。目いっぱい働かなければならない。さぼろうと思ったりすると、そう思っただけで心が痛んでしまう。そこで働いている人は皆善人顔で働いている。行きたくないと思ったのです。しかし、父の言葉、父を大切にしなければならない。父は言われた。ぶどう園で人のために働きなさい。兄は後で考え直し、行こうと決めました。そして、兄はぶどう園に向かいました。
父は弟のところへも行って言います。「子よ、今日、ぶどう園に行って働きなさい。」弟は言います。「お父さん、承知しました。」笑顔で父の言う事を守る。いい弟です。その、善い返事の弟を見た人はそう思います。弟はしかし、行かなかった。父から言われた事は守らなければいけない。父に従順でなければいけない。だから、「はい、承知しました。」と言う。弟は父を見ていなかった。父の心を見ていない。言葉の従順。弟は律法に心なく従順でした。
お父さんの呼びかけは何ですか。あなたのお父さんは誰ですか。わたしたちに向かって、今日も、今も父は呼びかけておられる。父は子を思う心のうちに呼びかけておられる。この道を歩みなさい。ぶどう園で隣人のために働きなさい。兄はお父さんの心を見た。ぶどう園は何であるか考えた。お父さんの思いを受けとめた。隣人のために働くことを考えた。ぶどう園へ行きます。
弟はまず、父親の言いつけに従順でありなさいという律法を思い浮かべた。律法に従順です。「承知しました。」と返事をしました。父の心を見ようとしない。どちらが父の望みのままにしたか。祭司長、民の長老は兄ですという。イエスは言われます。徴税人、娼婦たちが兄です。そして、祭司長、長老たちは弟です。徴税人、娼婦たちは神様の言葉を聞いていないように見える。律法を無視しているように見える。徴税人はイスラエルを裏切っている。その者たちは律法から外れている、神様から離れているという。しかし、彼らの多くはヨハネに会いに出かけたのではないですか。自分を清めたい、神様のもとに戻りたい。ヨハネの話を聞いた、そして洗礼を受けた。神様とつながりたいと心から思った。神様はそれを喜ばないだろうか。心から神を求める。その心に神様は答えられる。徴税人、娼婦が義の道を歩んだ。 弟は祈る、聖書を読む。律法にそった生活をする。彼は人に神様の話が出来る。律法のうちに神様を語る。弟にそんな人を思い浮かべたのです。弟の心は何ですか。律法の世界に神様を見る。神様が律法のうちにいる。イエスは言います、神様は今も生きて働いておられる。人々に、一人ひとりに声をかけておられる。祭司長、民の長老、あなたがたは弟ではないですか。

わたしたちは見える姿を見てしまいます。兄を見つめる。弟を見つめる。考え直して、見えない姿を見たいと思います。



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