「年間第29主日」(A年) 説教
2011年10月16日・加藤 英雄師

 

  イエスはファリサイ派の人々、祭司長や民の長老たちの神様に向かう道は外れている、偽善者の道になっていないかと厳しく言われます。
エルサレムの神殿で:イエスは神殿から商人を追い出す。人々はイエスに行った業を見て、ダビデの子にホザンナと叫ぶ。神殿は祈りの家。神様との交わりの場。神殿はイエスによって清められた事になった。神殿の境内で目の不自由な人たち、足の不自由な人たちを癒された。 
権威とは:神殿の境内で教えている、神様を語る。あなたは何の権威で話しているのか、境内で癒しているのか。イエスは答えられる。あなたにとって権威は権力を持つ人からの与えられるものですか。見えない神様からのものですか。あなたがたは神様からの預言者ヨハネを認めているのですか。 
ぶどう園のたとえ:ぶどう園の農夫は自分たちの利益のために神様からの使いを苦しめ、殺している。自分たちのために聖書を覚えるほど熱心に読む。厳しく律法を守る。ファリサイ派の人たち、あなたがたはぶどう園を見ない。ぶどう園を造られた方は誰ですか。何のためにそのぶどう園は何のためですか。神様のみ心を持った者がぶどう園を訪れても、その者をぶどう園の外に放り出し、殺している。自分たちの信仰を守るために聖書を知る、律法を守るとはぶどう園を自分たちのものにしているのではないか。
王子様の婚宴:王子様の婚宴がある。王様の喜び。国の喜び。大いに喜んで欲しい。選んだ者たちを招いた。一人も来ようとしない。選んだ者たち、招いた者たちはふさわしくなかった。自分のために働いている。神様を見ない。招きに来てくれた使いに乱暴する。聖書を読むのをやめなさい。律法を見るのをやめなさい。まず、神様に感謝する。神様を愛する。神様を思い巡らしなさい。心に神様がいなければ聖書はただの読み物になってしまう。律法は人を縛る法律。 ファリサイ派の人々はイエスを捕らえたかった。イエスをどのように殺すかを考えたのです。ファリサイ派とヘロデ派は一緒になってイエスのところに来たのです。
ファリサイ派:分離された人々。修道生活を送っている。厳しい信仰生活を送っている。世俗とは離れているという事でしょうか。
ヘロデ派:ヘロデ家を助ける人々。ヘロデはローマの支配化の下でユダヤの王として力を振るっていた。ローマの下で如何にイスラエルとして、いかに宗教的に生活できるか。
先生、あなたは真理に基づいて神様の道を教えておられます。あなたは神様のうちにあって誰をもはばからない。誰をも分け隔てしない。わたしたちは悩んでいます。イスラエルは神様からいただいた土地、しかし、今、ローマの植民地になっている。皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか。
イエスは言われる。デナリオン銀貨を持ってきなさい。これは誰の肖像と銘か。
皇帝のです。では、皇帝の者は皇帝に、神のものは神に返しなさい。
特に、神殿では肖像の入った硬貨を使ってはいけない。人の肖像の入ったお金はイスラエルにふさわしくない。(出エジプト20・3-4)しかし、日常生活で、町で彼らはローマからの硬貨を使っているのです。

「神のものは神に返しなさい。」 
空気は神のもの。煤煙やスモッグで汚れている空気にしてはならない。水は神のもの。魚が住めない水にしてはならない。今わたしたちは水を買って飲んでいる。水道水には薬が入っている。 木が自然に生えていない。魚が養殖である。「神のものは神に返しなさい。」

家族は家庭である。食事を一緒にする。お父さんの母さんを大切にする。人を大切にする。特に体の不自由な人に心を配る。神様からの命を大切にするのです。 人の支配出来るものはありますか。すべて神様から貰ったもの。
自分も神様の道具。神様の道を歩む事ができますように。

 



戻る