「待降節第1主日」(B年) 説教
2011年11月27日・加藤 英雄師

 

  今日の福音書は終末が語られています。そして、今日の福音の箇所に「目を覚ましていなさい。」と4度も語られている。目を閉じてはいけない、目を見開いている。眠ってはいけませんと言われたら困ってしまう。体の目以上に心の眼を閉じてはいけないと読みます。見つめていたい緊張の内に過ごしなさい。しかし、この緊張は嬉しい緊張です。見つめていたいものがある。見つめていたい人がいる。その人が好きになる。惚れ込んでしまう。これからの道をその人と共に歩みたい。その人と一緒にいると力づけられる。縛られている自分が自由になる事が出来る。心が穏やかになる。落ち着いてくる。素直に語ることが出来る。素直に考えることができる。 夢中になって惚れ込む、その人は誰ですか。

終末。わたしたちは今、終末の時にいるのです。終末の徴:民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、地震が起こり、方々に飢饉や疫病が起こる。太陽と月と星に徴が現われる、海がどよめき荒れ狂う。天地が滅びる。(ルカ21・10-11)その中にいて苦難を味わう。しかし、心の目はその時、この滅びの出来事を超えて立つ人の子を見る。救いを見る。
いつも見つめている。夢中になってほれ込む。その人はイエスです。

第一朗読のイザヤ書で人は神様に頼みます。主よ、わたしたちは弱く小さい者です。悪の中に入ってしまう者、欲の中に埋まってしまう者。主よ、わたしたちの弱い心を強めてください。あなたの助けがなければ、目覚めていることが出来ません。共にいてください。神様を見つめていたい。目覚めさせてください。

終末:神の国への出発の始まりです。終末がいつ来るが分からない。毎日の生活が目覚めている生活を送りなさいと語られているのです。失敗すると緊張が呼び戻されるかなと思います。
小生の失敗談です。今年10月の3日の事だったと思います。教会本部で神父と事務所で働いている人たちの健康診断がありました。目白へ行きました。始めは地下に入り、いろいろ調べてもらいます。外に車が二台。それぞれがレントゲン車です。肺と胃です。時間がかかります。長く並びます。バリウムの検査が終わりました。後からの人はまだまだ待っています。ふと思いました。カリタスの家に行こう。電話応対の事務所がありますが、その部屋の隣で古切手の整理、切りそろえなどの作業をしています。たまに聖書の話など面白半分でするのです。小生の新しい文章が3つあった。それを紹介しよう。「落語と漫才―知識と知恵」「カインの秋の日」「バベルの塔」、それらを作業しながら聞いてもらうのです。一つ読みました。感動してくれた。2つ、3つと読んだ。褒められて嬉しい。ありがとうございました、ちょっと長居したけれど、帰ります。戻って見ると車はもうない。健康診断は終わっていました。そういえば、小生の小さなバッグがないと思ったのです。カリタスの家に戻りました。捜してもない。2階の教区事務所に行っても忘れ物は預かってない。マリア大聖堂にもない。関口教会の受付にもとどいていない。何度も何度も捜して警察に行きました。
帰りは電車です。車の免許証がない。キーもない。健康保険証、銀行カードもバッグに入っている。現金もたくさん。
置き引きと言うのでしょうか。全部盗られた。神様に怒られたと思いました。お前は文章を自慢したかったのか。褒められたかったのか。自分をよく見せようとしたのか。お前は何を見ているのか。何を求めているのか。

目を覚ましています。自分を語るのではなく、神様を語ります。

 



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