「主の公現」 説教
2012年1月8日・加藤 英雄師


 

今日は主の公現を祝います。ご公現、神様の神秘が私たちの前に現されました。神様の思いがわたしたちの目の前に見えるものとなって、出来事となって現されたのです。
 イザヤ書を読みます。 「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。」 地上を闇が覆っている。わたしたちは今、わたしたちのこの社会が闇の中にいると感じていますか。わたしたちの周りにはいろいろな問題があります。自分にかかわりのある問題に入ってゆくと、納得のいかないことが多々あります。すっきりしないことに包まれています。光がない。もどかしい思いをしている。しかし、わたしたちは光を求めていますか。光に向かって歩んでいますか。闇のない、光の世界は待っても来ない。闇を造っているのはわたしたちではないですか。わたしたちは神様の声を聞こうともしない、神様を見ようともしない、神様に感謝する心がないから闇になっているのではないでしょうか。自分を見つめる。隣人を見つめる。そして、神様を見つめる。その時、自分が神様を求めている以上に、神様が自分を求めていることを知ります。喜びなさい。生きていることを喜びなさい。隣人の求めることに心を留めなさい。主は言われる。隣人に声をかける。隣人のために働きなさい。闇は閉じこもったままの世界です。窓を開ける。主の光を見る。ご公現は、今、神様は大きな光を注がれます、どのような暗闇であっても、主の栄光はあなたの上に輝きますという恵みです。

ベツレヘムにユダヤ人の王がお生まれになる。その方の誕生を知らせる天の星が輝きました。東方の博士たちがエルサレムにいるヘロデ王に会いに来ました。その幼子の誕生を祝い、その方を礼拝したい。しかし、幼子は王宮のあるエルサレムで生まれたのではない、ヘロデ王の子として生まれたのではないのです。パンの家という意味のベツレヘムという田舎の寒村で生まれたのです。わたしたちはこの幼子はパンの家に生まれ、毎日の生活の中で人々のパンとなる生活を送ることを知るのです。
神様から知らされたユダヤ人の王となる幼子が生まれた、近くにいる。ヘロデ王は不安になった。王位を争わなければならない日が来る。エルサレムの住民もそんな騒動が起きるよりも、このままの闇の中にいたほうがいい。

ご公現は神様からの喜びではないですか。ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も不安になった。ヘロデ王は最高法院の民の祭司長、律法学者たちを皆集めて、メシアはどこで生まれることになっているかと問いただした。ベツレヘムです。預言書に書かれています。お前から指導者が現れ、イスラエルの牧者となる。ヘロデ王は言います。わたしも行って拝もう。ヘロデはその子を倒したい、必ず倒すという思いのうちにあります。東方の博士たちは小屋に着きました。小屋の中に、母マリアがおられ、飼い葉桶の中に、布にくるまって幼子イエスが寝ていました。
東方の博士たちはご公現の喜びに出会いました。小屋は安らかな、光に包まれていました。父ヨセフ、母マリアは幼子イエスを温かさで包んでいました。羊飼いたちが来ました。羊飼いたちの顔は喜びに輝いていました。

ご公現は命の喜び、神様への道の出発です。



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