「年間第7主日」(B年) 説教
2012年2月19日・加藤 英雄師


 

  人が生きる。王の奴隷として生きるのではない。神様の子として生きなさい。イスラエルはエジプトを出発した。40年の荒れ野の厳しい旅であった。カナンの地に着いた。主は言われる。もう昔のことは思い出すな。新しい出発を行う。今、その時期ではないか。わたしが新しい旅を導く。旅を味わいなさい。自然にぶつかって出会う旅、様々な人に出会う旅です。旅することが重荷ですか。わたしから離れているのですか。わたしはあなたの罪を責めない。あなたの罪を思い出さない。
さらにイスラエルには大きな旅があった。バビロンへの捕囚、そしてバビロンからの帰還があった。今、あなたは自分を変える旅に誘われている。神の子として生きる。神様が声をかけてくださっている。新しい出発をしましょう。

イエスがカファルナウムに来られた。大勢の人々がイエスのもとに集まった。身動きできないほど大勢の人たちが集まった。イエスが来られたと聞いて、中風の友人たちは中風の人に言います。イエスに会いに行こう。イエスに触れていただこう。4人の友人たちは中風の人を床の上に乗せ、紐で吊り上げながら運びました。イエスのところに来た。大勢の人たちに囲まれ、イエスの顔さえ見えない。そうだ、屋根から吊り降ろそう。4人は床を支えながら屋根に上った。そして屋根を開き、床を吊り降ろした。屋根は茅葺のようになっているようです。束にした穂が敷き詰められ屋根になっている。
イエスはこの出来事を喜んだ。天からの贈り物だね。そんなことを言ったかどうかわかりませんが。そして中風の人を運んできた4人の友の信仰を見て、床の上にいる中風の人に言われる。「子よ、あなたの罪は赦される。」

そこに律法学者が数人座っていた。人は罪を赦すことはできない。神おひとりが罪を赦すことが出来るのだ。イエスは神を冒涜している。

その人の苦しみ、悲しみに入りなさい。その苦しみを負いなさい。その悲しみを負いなさい。イエスは中風の人の苦しみ、悲しみに入ることが出来る。人の子は人の罪を赦すことが出来る。

イエスは中風の人に言います。「起きて、床を担いで家に帰りなさい。」 起きて、歩きなさい…罪が赦されました。イエスは中風の人の友人の心に目をとめられた。中風の人よ、あなたは今、教会とつながっている。4人の信仰に守られている。

教会につながっていなさい。教会は世界で働いています。貧しい人、苦しむ人、希望のない人に力を与えています。貧しい地域に病院を建てています。施設を造り、自然災害にあっている人に力を与えています。
自分はその教会の一員である。それを誇りに思ってほしいのです。しかし、自分は何もしていない。今からです。日々、絶えることなく、小さな助けを与えるものになってほしいのです。わたしには罪があります。赦してもらえます。

律法学者は聖書に詳しい。律法の条文に詳しい。しかし、聖書の文字に囲まれ、律法の条文の文字に囲まれ、隣人が見えない。律法学者の人たちは中風の人が見えなかった。見ようとしなかった。



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