復活の主日・復活の聖なる徹夜祭 説教
2012年4月
日・加藤 英雄師


  わたしたちはイエスを思い巡らしながら四旬節の道を歩きました。そして、聖週間、聖なる三日間でイエスの受難、苦しみを十分受け取ったのです。イエスは弟子たちに三度も言われました。人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている。弟子たちは全くこのイエスの言葉を理解できなかった。イエスがユダヤ教の教えから排斥され、人々から捨てられて殺されました。世を去ってしまった。弟子たちは、自分たちは何であったのか、何をしてきたのか混乱しています。イエスが十字架にかかり命を奪われました。そして、安息日が終わりました。婦人たちは墓に眠っているイエスのもとに行きます。イエスが亡くなったのは金曜日三時ごろです。土曜日の安息日には死体を放置してはいけない。急いでイエスを墓に葬った。イエスを丁寧に葬ることが出来なかったのです。三人の婦人たちは墓に入りました。そこに長い衣を着た若者が右に座っていました。若者は言います。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているがここにはおられない。あの方は復活なさってガリラヤに行かれる。弟子たちとペトロに告げなさい。イエスとガリラヤでお目にかかれると。

イエスが新しい命を現される。人の陥ったあらゆる悪、すべての罪を背負われて、父からの杯を飲み干され、天に昇られ、永遠に命に入られたのです。

天地創造の初め、神様はお造りになったすべての物をご覧になりました。見よ、それは極めてよい。第六日目に神様は人をお造りになりました。あなたはすべてのものに支えられている。すべてのものがあなたを支える。喜びに内に生きるものとなりなさい。

人が人を奴隷とする時代が来ました。人が自分のために生きるものになっている。人は神様が造られてものではないか。人は人の奴隷ではない、神様の奴隷となりなさい。ど俺というと少しおかしい響きです。神様の奴隷とは神様の道具という意味です。神様のために働く者となる。天の父の言葉を聞き、父の思いを果たす者となるのです。神の奴隷、神の道具、もっと心に響く言葉で言います。わたしたちは神の異なるのです。父さんの言うことをよく聞きます。父さんは言われます。わたしはお前たちに十分すぎるほどの恵みを注いでいる。お前たちは自分の益だけを求め、わたしを捨て偶像を据えた。わたしの聖なる名を汚した。お前の土地を汚した。わたしの声に耳を傾けなさい。わたしの思いを行いなさい。自分の益を求めるために据えている偶像を捨てなさい。わたしはお前たちを通してわたしの名が現されるのだ。
わたしはお前たちに 
清い水を振りかける。 
新しい心を与え、新しい霊を置く。それ以上に、わたしの霊を置く。
お前たちはわたしの民となり、わたしはお前たちの神となる。
自分が自分でありたいと思うとき、その欲求を偶像に願い求める。自分の欲求が満たされますように。その自分は隣人が見えない。神様が見えない。支えられていることが分からない。感謝できない。自分がなくなった時、神様が見える。神の子となれる。父の言いつけを守る子となる。

イエス様こそ神の子です。あなたはわたしに従いますか。はい、従います。キリストのものとなるために洗礼を受けました。洗礼を受けようとしています。新しいキリストの服を着て、キリストの示された道を歩みます。永遠の命を知りました。復活の命を知りました。永遠の命を信じます。復活の命を信じます。光のうちに生きます。喜びのうちに生きます。
復活のイエスの道を歩みます。  ご復活おめでとうございます。



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