復活の主日・日中のミサ 説教
2012年4月8日・加藤 英雄師


  「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」
わたしたちは友人と仲間と隣人とこの世に生きている。仲良くできればいい。安心があればいい。穏やかな世界が作られればいい。経験を大切にする。人格を作って行く。弱い者であってはいけない。しかし、地上のものに心を引かれてはいけない。自分が十分であろうとすることは自分の世界です。上にあるものを求めるとは、地上の事を喜びとすることではないでしょうか。経験がなくてもいい。ちっちゃな人格でも構わない。弱い者、小さい者であることを感謝する。他人が見たらこんなにみじめであるという、自分のみじめさを感謝する。経験がない―神様に向かって経験してゆきます。ちっちゃな人格―祈ります。聖霊を送ってください。あなたの言葉に耳を傾けています。あなたに向かって語ります。弱い者、小さい者―天に宝物を積みながら大きくなってゆきます。わたしたちは隣人の中で生きています。隣人とつながって行くのです。つながる―隣人の心が自分のうちに住むのです。天国に積み立てながら強くなってゆく、大きくなってゆくのです。損をしながら、その人のために働きながら、喜びを得るのです。地上では損をするのです。この世の出来事に心を引かれない。わたしたちはこの世では死んだ者なのです。

死んだ人に命が注がれて生きるものとなる。聖書で、立ち上がる、起き上がるという表現があります。この出来事は、その人が復活すると読むのがいいのです。地上の眠っていた生活から立ち上がる、起き上がるのです。

しかし、本当の復活の命がある。死んだ人が新しい命を注がれて生きるものになる。復活の命に生きる。永遠の命を得る。死ぬとはこの世で得たものがすべてなくなることです。この世で自分が持っていたもの、自分が培ってきたもの、いろいろな思い出がすべて消えてしまうことです。それでいい。この世のものは過ぎ去ってゆく。壊れる。消滅する。あなたは死によって空になる。神様は空になったあなたに入って来られる。あなたの器の中に神様の命が注がれる。神様の命のうちに生きる者となる。

墓にイエスの体がない。ペトロ、ヨハネは復活を知らなかった。ペトロ、ヨハネは一層イエスに会いたかった。



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