「復活節第3主日」(B年) 説教
2012年4月22日・加藤 英雄師
 


  復活されたイエス様と出会った。マグダラのマリアが弟子たちの前で話します。ペトロとヨハネは墓に出って行きました。そして、墓にイエス様のご遺体がないことを見ました。一体、何が起こっているのかよく分からない。そして、今日、エマオに出かけた二人の弟子が息を切らせて戻ってきた。わたしたちはイエス様に出会った。エルサレムでの出来事を議論していると、いつの間にか男の人がそばにいた。話に入って来た。その人は聖書に詳しかった。メシアについて語った。夕暮れになったので、一緒に宿をとりましょう。そして、食事を一緒にしましょうと食卓を囲んだのです。その方の食事は過ぎ越しの食事でした。パンをとり、賛美の祈りを唱えられました。パンを裂かれ、それをわたしたちにお渡しになったのです。このパンはわたしの体。このぶどう酒はたしの血、わたしのいのち。わたしの体、わたしの血があなたの中に入る。わたしがあなたの中に入る。あなたの体の中にある神殿に入る。今迄あなたはわたしの姿を見ていた。今からわたしと共に、わたしが歩いた道を歩む者となるのです。その時、この方はイエス様だと分かったのです。わたしたちは新しい命に生きるイエス様と出会った。復活されたイエス様と出会ったのです。弟子たちは驚いている。弟子たちは言います。新しい命に生きるイエス様と出会わなければ信じない。イエス様に会ってみたい。その時、イエスが弟子たちの真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように。」と言われました。弟子たちは恐れおののきました。何が起こったのか。我々はイエス様と出会っているのか。これはイエスの亡霊ではないか。「安心しなさい。わたしだ。あなた方はわたしの目の前にいる。わたしはあなた方の目の前にいる。まさしくわたしだ。わたしの手足を見なさい。触れてよく見なさい。
わたしは神様の思いのうちに今「ある」。モーセの律法(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)、預言書、詩編―聖書は今、あなたたちの目の前で実現している。あなたたちはわたしと一緒に神の国を造って行く者となるのです。平和を造って行く者となる。神様の思い、聖書の事柄は必ず実現するのです。

心の目を開きなさい。心の耳を開きなさい。この世の束縛から自由になる。この世を超えたところに「いのち」があるのです。イエス様は焼いた魚を食べられました。食べる、飲む。この世にないのではない。この世にあってこの世の者ではないのです。

「わたしはある。」わたしはあなたを見つめている。あなたはわたしを見つめなさい。

「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」

わたしたちはイエスがメシアであることの証人です。
わたしたちはイエスが神である証人です。
イエスの復活の証人です。
イエスの名によって悔い改める時(ゆるしの秘跡)、罪が赦される証人です。

罪とは:自分が小さいもの、弱い者であることです。人は皆罪びととして生きています。小さい、弱いから、少しずつ大きくなろう、少しずつ強くなるのです。その道を歩む。小さい、弱いが心の軋轢ではなく、出発の時なのです。小さいから安心がない、平和が見えないのではない。小さい事、弱い事が安心の、平安の出発です。
神様の掟を守る。平和を造る道を歩んで行くことです。安心のうちに生きることです。イエス様の姿を見つめていることです。神様を愛します。隣人を愛します。



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