「復活節第5主日」(B年) 説教
2012年5月6日・加藤 英雄師


  神様はぶどう園を造られた。ぶどう園の真ん中に一本の大きなぶどうの木がある。ぶどう園で働きなさい。ぶどう園で働くとはぶどうの枝になることです。ぶどうの大木から枝が伸びる。枝が実を結ぶ。大木が語る言葉が枝を清くする。清くするとは手入れをなさるということです。言葉が心と体に入って、心と体を清くする。言葉を求めなさい。ますます清くなりなさい。ぶどうの木はイエス。ぶどうの枝はわたしたち。ぶどう園で働きます。洗礼を受けてぶどう園を知った。自分のために働くのではない。自分が働いて得たものが隣人の助けとなる。ぶどうの枝が実を結ぶ。この実は、隣人の、求めている人のためのもの。あぁ、そうか。大木からの命が御言葉となって枝に流れる。御言葉が実となる。御言葉によって実が熟す。御言葉によって枝が清くなり、清い実を結ぶ。

枝よ、大木につながっていなさい。イエスは言われます。わたしにつながりなさい。あなたがたはわたしから離れては何も出来ないからである。つながるとはその人の中にいるということです。わたしにつながり、わたしの中にいなさい。

つながるとは愛すること、生きることです。命がつながっている。そして、信仰はつながりです。その人と共に生きる。その人のために働く。

初めに①神と人。次に②自然と人。③人と人。 

①人は神様によって命が注がれ、生きるものとなった。神様に包まれている。神様は言わ   れます。あなたにとって必要なものは全部用意されている。働きなさい。それぞれがそれぞれ必要なものを造りだしなさい。 また、つながりはその人のために働くことです。神様のために働く。神様のために働くのですか。滅相もない。そんなことは出来ません。神様は言われます。命を喜びなさい。今生きている自分の命、そして、友の命、隣人の命を喜びなさい。生活が支えられている事を感謝しなさい。そして、神であるわたしを忘れてはいけない。
②自然と人がつながっている。人は自然によって生きている。自然によって支えられている。しかし、自然からもらうだけのものになってしまっている。自然とつながっているのだから自然のために働きなさい。人は我儘に自然から取っている。自然が死んでは、人は生きられない。自然が生き、人が生きる。 
③人と人がつながる。人は人の中で生きている。支え合って生きている。つながる。隣人のために働きなさい。ぶどう園に成った実の喜びはその実を食べてくれる人がその実を喜ぶ、それが本当の喜びです。自分がおいしいものを食べて喜ぶ、遊んで喜ぶ以上の喜びです。隣人のために働く。実を結びなさい。求めている隣人に食べてもらうために働きなさい。  

 わたしたちはぶどう園にいます。神様、自然、人とつながって生きています。この世がぶどう園であったらいい。
イエスは言われます。わたしにつながっていなさい。わたしの思いに満たされなさい。
トマスがイエスに聞いたように、聞きます(ヨハネ14・4~)。それはどういうことですか。イエスはきっと言われます。こんなに長い間一緒にいるのにまだ分らないのか。洗礼によって一緒にいる。洗礼はつながりの入り口です。イエスの中に入る入口です。イエスの中に入って来なさい。  

つながって生きます。ぶどう園で働きます。それによって父とイエスが栄光をお受けになる。



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