年間第16主日」(B年) 説教
2012年7月22日・加藤 英雄師

 


第一朗読、エレミヤ書を読みます。羊は王を求めている。羊を養う牧者が王である。主は言われます。まことの王がいない。 わたしたちは社会を作っています。なんだか薄暗い。エレミヤの言葉が今のわたしたちに響きます。今、わたしたちのこの社会にまことの牧者がいない。力のある人はたくさんいる。しかし、自分のための王となってしまっている。 王が羊を養おうとしない。主は言われる。わたしは王に力を与えている。王はその力を何のために使っているのか。羊を養うためではないか。王は羊の中に住もうとしない。羊は散って行く。エレミヤは預言者。イスラエルを愛する者。王よ、イスラエルを愛してほしい。主は言われる。わたしはダビデのために、イスラエルのために正しい若枝を起こす。その名は「主はわれらの救い」と呼ばれる。 イスラエルの王は、異邦人の王と違う。王を選ぶのは神様。王は神様のもとにいなければならない。王は預言者の言葉に注意を払わなければならない。神様のみことば・律法を大切にしなければならない。王は律法のすべての言葉と掟を忠実に守らなければならない。 主は言われる。神様を求める者はまことの王様を見る。ダビデの若枝、を起こす。王は治め、栄え、この国に正義を恵みの業を行う。その名は主はわれらの救い。その名はまさしくイエスではないですか。イエスの名は「主は救い」という意味。わたしたちはイエスにインマヌエルの姿を見た。インマヌエル…神は我々と共におられる。

イエスは12人を呼び寄せ、言われます。宣教に行きなさい。まず、人々に悔い改めるよう告げなさい。汚れた霊に対する権能を授けます。そして、油を塗って病人を癒しなさい。 12使徒は宣教に行きました。歩きました。人と出会いました。語りました。病人を癒しました。悪霊を追い出しました。使徒たちは宣教の長い旅を終わり、イエスのもとに集まります。宣教の出来事を残らずイエスに語ります。人と出会い、語った時、病人に手を置いた時、わたしの内に神様が働かれた。わたしの言葉は神様からのもの。わたしの業も神様からのもの。弟子たちは宣教の時に起こった出来事に興奮を覚えていた。不思議を体験した。神様を体が体験したのです。イエスは弟子たちに言われます。「ご苦労さん。さあ、あなた方だけで人里離れたところに行って、しばらく休むがよい。」 しばらく人の世から離れなさい。煩いから離れる。日常生活から離れる。ゆったりと神様を見つめる時、自分を見つめる時、休む。よい思いの内にゆったりと過ごす。感謝の内にいる。にこやかにのんびりする時。
人々はイエスを離さない。弟子たちを離さない。苦しんでいるわたしたちをほっておかないでください。わたしたちにはあなたがたが必要です。イエスはその群衆を見て憐れに思った。飼い主のいない羊のように平安がない。人々はばらばら、自分の安心だけを求めている。イエスは教えられます。あなたたちは今、すでに愛されている。神様に愛されている。生きている。生きるとは神様の恵みではないか。神様の憐み、神様のいつくしみではないか。神様があなたに生きていてほしいと願っている。神様をもっともっと見つめなさい。
自分が愛されていることを喜び、支えられている事を知り、あなたも支える者となりなさい。 人々はイエスの内に羊を飼う牧者を見たのです。王は力を持つもの。人の世話をする力です。王が偉ければ偉いほど忙しい。任せられている人を知り、その人たちのために働くのです。

 



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