「年間第18主日」(B年) 説教
2012年8月5日・加藤 英雄師


  イスラエルの民は荒れ野を旅します。荒れ野には飲み水がない、パンがない。イスラエルの民は不平を言います。水がほしい、パンがほしい、肉がほしい。わたしたちは渇いている、飢えている。いつ目的の地に着くのか、いつ平安な生活が出来るのかが分からない。こんな旅の苦労をするのならエジプトで王の手にかかり死んだほうがましだ。エジプトにいた時は、肉の入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられた。
主はイスラエルの不平を聞かれ、そして言われました。あなたたちは夕暮れに肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。夕方なった。ウズラが飛んで来て、宿営を覆った。ウズラをとって食べ物としたのでしょう。肉を食べた。そして朝には宿営の周りに露が降りた。露が蒸発して、薄くて、壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。これは何だ。イスラエルの人々は口々に言った。主は言われます。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」 イスラエルの民よ、あなたたちは神の業の中にいる。神の業を見つめなさい。今、あなたたちにあなたたちを養うものを与えよう。あなたたちは、人はわたしからのものを食べて生きるのです。

人々はイエスを求めます。カファルナウムでイエスと弟子たちに会う。イエス様、わたしたちにはあなたが必要です。イエスは前日、山で五千人にパンを与えられました。その時、人々は言います。まさにこの人こそ、世に来られる預言者である。イエスはこれを聞かれました。そして、人々は自分を王にするために連れて行こうとするのを知り、ひとりでまた山に退かれました。そして、今、イエスと弟子たちはカファルナウムに来た。イエスは人々に言います。あなたたちは満腹したでしょう。しかし、心の食べ物、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたたちに与える食べ物である。

それは、モーセを通して与えられた天からのパンですか。イスラエルは必死に願った。そして見える恵みが与えられた。イエスは言われます。しかし、それは体が生きるために与えられたパンではないか。わたしの父は天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。まことに言う。天から降って来て、人に命を与えるもの、それはわたしの体である。わたしの体を食べなさい。わたしがあなたの中に生きる。わたしと共に永遠の命のために働くのです。

天から降ってきたパンをイスラエルの人たちはマナと呼んだ。「マナ」とは「何」という意味です。マナ…これは何か。これは神様の恵み。わたしたちを支えるもの。パンがキリストの体になる。わたしたちはもう一度叫びます。「マナ」。これは何ですか。神様の恵み。神様のパンを食べる。キリストの体を食べる。天から降ってきたパン。天の父はイエスを世に送られた。イエス・キリストがパンです。パンを食べる。キリストを食べる。あなたの心、あなたの体の中に入る。キリストは愛。いのち。一緒に愛のために、命のために働きましょう。生きるとは愛すること、命を喜ぶことです。わたしが命のパンであるイエス様に感謝。イエスと一緒に歩むことが出来ますように。

 


   


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