「年間第 19主日」(B年) 説教
2012年8月
12日・加藤 英雄師


王妃イゼベルが自分を殺そうとしている。エリヤは逃げます。荒れ野に入り、歩き続ける。生きる。殺される恐怖のために逃げたのではない。エリヤは預言者です。神様から役割が与えられている。神様の言葉を告げる。神様からの業を示す。エリヤは疲れました。主よ、もう十分働きました。わたしの命を取ってください。平安を与えてください。主の答えは違います。まだ働きなさい。起き上がり、立ち上がりなさい。また新たに、歩き始めなさい。あなたの命はわたしのもとにある。エリヤは40日40夜歩いた。そして、神の山ホレブに着いたのです。 歩く。自分の世界の中に腰を据えてはいけない。自分の城を開く。出会いなさい。人と出会う。自然と出会う。それ以上に神様と出会うのです。しかし、神様と出会って、神様を自分の城に閉じ込めてはいけません。歩く。人と出会い、神様を共に喜ぶのです。神様の命を喜ぶのです。

イエスは命について語られます。生きるのは体、そして心。心と体が共に働いて命を得る。そして、イエスは命のパンを示されます。
 イエスは空腹になった人々にパンをお与えになりました。このパンは体のためのパンではない。命のパンです。人々は理解できない。イエスは言われます。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。わたしの天の父が天からのまことのパンをお与えになる。そして、言われます。わたしが天からのパンである。人々はつぶやき始めます。イエスがわたしはパンであるという。何を言っているのか。 わたしは自分では何もできない。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業を受け入れてほしい。しかし、あなたたちは命を得るためにわたしのところへ来ようとはしない。あなたたちはわたしを見ている、わたしの言葉を聞いている。わたしを見ているのに信じない、わたしを聴いているのに信じない。わたしの中に入って来ようとはしない。人々は聞きたいのです。あなたに何を見るのですか。自分を空にして、父を見なさい。自分を生かしている父の愛、御心を信じなさい。自分を空にして、父を見る、そして、わたしを見なさい。

わたしは命のパンである。このパンはわたしの体である。わたしは天から下ってきた命である。わたしは今ここに生きている。わたしは今ここで語っている。しかし、わたしは天の父の力の内にいる。御心の内にいる。わたしは天からの命である。父と共に語り、父の業を行う。なぜならば、わたしは父と共に生き、聖霊と共に生きるものだからである。わたしに肉の内に天の父の命がある。わたしを食べなさい。

ご聖体。このパンはイエスの肉です。このパンは愛の命です。この体にイエスがおられる。いや、イエスの命がこの体になった。天からのパン。天からの命。そして、イエスの生涯です。イエスの生涯がこのパンになった。天の父がイエスをわたしたちの世に送られた。イエスはわたしたちと共に住んだ。神様の愛を現された。わたしたちのために命をささげれらた。神様の思いがこのパンになった。このパンを食べなさい。このパンに命がある。神様を信じます。イエス様を信じます。ご聖体をいただきます。


   


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