「年間第
21 主日」(B年) 説教
2012年8月
26日・加藤 英雄師


ヨシュアに導かれたイスラエルの民が神様の示された土地についた。神様の御心の土地で住む。40年の苦しい荒れ野の旅があった。パンがなかった、水がなかった。敵が攻めてきた。心に安心がなかった。40年、わたしたちは生きた、旅を続けることが出来た。わたしたちの主、わたしたちの神がわたしたちを導かれた。わたしたちはこの地で新しく出発する。わたしたちを導かれた神に従うか、この神に仕えるか、今日、自分で選びなさい。
民は答える。主こそわたしたちの神。わたしたちをエジプトから導き出され、荒れ野の旅の苦しみから守ってくださった。今、神の平安の内にいる。ほかの神に仕えるなどできません。この方こそわたしたちの神です。苦しい時一緒に歩いてくださる神様を知った。神様が今、生きておられる、わたしたちを見ておられる、声をかけてくださることを知った。神様が父である、母であることを知ったのです。苦しみの内に、生きる感謝、喜びを感じたのです。

イエスは言われます。いつまでもなくならない永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなた方に与える食べ物である。 神の業を行うためには何をしたらよいでしょうか。イエスは答えて言われた。神がお遣わしになったものを信じること、それが神の業である。(6・27b~)わたしの父がまことのパンをお与えになる。神のパンは天から降って来て世に命を与えるものである。そのパンをいつもわたしたちにください。イエスは言われます。わたしが命のパンである。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 多くの弟子たちはこれを聞いて言った。実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。イエスの弟子たちがつぶやいている。イエスは語った言葉を変えようしない。まことを語る。わたしの言葉は霊であり、命である。わたしを信じてほしい。わたしを信じることの出来ないあなたの思いを捨てなさい。あなたの知識、経験をすべて捨てなさい。イエスは言われます。命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。ちょっと誤解されてしまう。霊が肉を包んでいる。霊の思いの内に肉は働く。肉はその人の器です。その人がその人であるための器です。器を守ろうとして知識があり、経験がある。その人の器によってその人が見えるようになるのです。器に霊が注がれている。器に命がある。自分を捨てる時、自分が生きるのです。わたしが語っている言葉を信じなさい。信じるとは自分の知識、経験を捨てることです。わたしがここにいる。わたしが語っている。これはすべて天の父の思い、業です。天の父を信じなさい。そしてわたしを信じなさい。わたしの言葉に父の思いを見なさい。弟子たちの多くはイエスを離れ去った。イエスと一緒に歩まなくなった。イエスは十二人に言った。あなた方も離れて行きたいか。シモン・ペトロは言います。「主よ、わたしたちはどこへ行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」わたしたちもあなたの言葉は理解できません。しかし、あなたはわたしたちの主。あなたに天の父の姿を見ます。あなたと共に歩みます。あなたの言葉がわたしたちの内に入り、心と体に刻まれますように。


   


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