「主の降誕」(夜半のミサ) 説教
2012年12月25日・加藤 英雄師


 クリスマスおめでとうございます。今日、今、わたしたちはイエス様の誕生を祝います。 主はわたしたちに仰せになった。「お前はわたしの子、今日お前を生んだ。」 第一朗読・イザヤ書を読みます。 闇の中にを歩む。生きていても生きる喜びがない。生きている命の鼓動が聞こえない。神様は言われているのです。あなたを覆っている、あなたを包んでいる豊かさを思い巡らしなさい。光がある。風が吹く。仲間がいる。木々が茂っている。花が咲いている。これほど生きる力が満ちているではないか。わたしたちはその光が見えなかった。自分の心の窓を開けなさい。扉を開きなさい。光に包まれる。心が風を感じる。。いのちの喜びを味わう。これほど大きな喜び、深い喜びはありません。 イザヤは預言します。 「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」 その子に神様の心、力を見ます。おおらかさ、いつくしみ、なごやかさ、静けさ、まことの愛を見ます。正義を見ます、平和を造って行く力を見ます。 「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。」 ローマ帝国は全世界です。皇帝は見えるこの全世界の最高の権力者です。皇帝は全世界の住民に命じたのです。全住民よ、出身地に戻り登録をせよ。人々は登録をするために各々自分の町へ旅立ちました。ヨセフはガリラヤのナザレに住んでいます。ヨセフはナザレから本籍のあるダビデの町、ユダのベツレヘムに旅立ちました。ガリラヤからベツレヘムまでは2,3日かかります。ヨセフは身ごもっている妻マリアと一緒に旅立ちました。身ごもっている妻と一緒に歩く、ベツレヘムへは2,3日ではすまないと思います。4,5日かかるのではないでしょうか。ついにベツレヘムに着きました。ベツレヘムにはすでに大勢の人たちが来ていました。人があふれていました。ベツレヘムは昔、旧約聖書の古い時代には軍隊が駐留出来たようです。ベツレヘムー古い、田舎の小さな村で、ヨセフは宿を探しました。妻マリアに宿っている子が生まれそうだ。宿の戸を叩く。何軒もの戸を叩く。どの宿も空いている部屋がない。人が多い、そして宿も少なかったのでしょう。「妻が身ごもっています。」「ロバや牛のいるところならば、空いている。そこを使わないか。」 マリアはベツレヘムの馬小屋で初めての男の子を生みました。 羊飼いたちが、羊の群れ番をしながら夜通し野宿をしていた。すると、主の天使が不思議な光のうちに近づき、羊飼いたちに告げられた。「今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 神からの、人々を包む大きな出来事が、天使によって、初めに羊飼いたちに告げられました。羊飼いたちは天使の言葉を、そのまま、信じました。神様のしるしとは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子―これが偉大な神、人々を救われる救い主である。 神様のしるしが、神様からの一番大きな贈り物が貧しい姿の赤ちゃんでした。王子として、王様に仕えるたくさんの人の世話されながら、きれいな服を着て生まれた赤ちゃんではなく、馬小屋で布にくるまって寝ている赤ちゃんです。 しかし、わたしたちは今、宣言します。その姿の赤ちゃんが誰よりも尊い。その赤ちゃんの「いのち」は神様の「いのち」そのものです。 「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。」 神様の思い、神様の愛のしるしがわたしたちに見える形で現されました。小さな田舎の町ベツレヘムに一人の男の子が生まれたのです。 「主は、イスラエルをすべての罪から購ってくださる。」(Ps .130・8) クリスマス、おめでとうございます。


   


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