「日本二十六聖人殉教者」 説教
2013年2月3日・加藤 英雄師


 

今日わたしたちは日本二十六聖人の殉教を記念して祝います。
豊臣秀吉の時代です。人々は外国の人からキリストの話を聞きました。外国の神父さんは言います。わたしたちの住んでいる、この世の物は皆生きている。動いている。わたしたちは生きているものに囲まれてる。わたしたちも生きている。人が生きている。それは皆神様のおかげです。神様に助けられているからみな生きている、人が生きているのです。神様は、人は皆楽しく生きてほしいと願っています。今、病気の人、生活に苦しんでいる人が周りにたくさんいます。皆が助け合って一緒に生活するのです。そして、人々は神父さんはいろいろな事を知っているのに驚きました。教会が造られました。と同時に、病気の人たちを休ませる建物も出来ました。 当時の事を考えるとこのように表現できるのではないかと思います。 キリスト教が教える世界を学んでゆく。命の尊さを知りました。神様を知りました。神様を信じます。キリストを信じます。洗礼を受けました。しかし、キリスト教を信じてはいけません。日本のしきたりを守りなさい。太閤さんに従いなさい。 太閤さんから離れてしまう。日本は外国の力のもとに入ってしまう。
一つになる。何を求めて一つになるのですか。第一朗読ガラテヤの手紙を読んで思い巡らします。律法がある。律法は神様の御言葉ですという。律法は人が生きるためのものですか。人が神様と出会うためのものですか。人々の幸せのための神様の御心ですか。
争いの絶えない人の世界を見て、ついに神様はご自分の存在を人として世に送ろうと思われました。神の子イエスをわたしたちの中に送ってくださいました。その時、神様はイエスを律法を越えて、イエスをこの世に産んだのです。マリア、あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。また、ヨセフに言われました。妻マリアを迎え入れなさい。二人が一緒になる前にマリアは身ごもっていることが明らかになったのです。マリアとヨセフは律法を越えて夫婦となりました。 神様、律法はあなたの言葉ではありませんか。律法はわたしの思いです。しかし、律法は人を縛る枠ではありません。律法は文字ではありません。人が生きるための神様の思いです。真の律法は神様の御心、思いです。わたしの思いの通り行いなさい。文字を超える神様の律法です。神様のために生きるため、律法を超えている神様の御心に従います。マリアとヨセフは神様の御心通りに行ったのです。
人々は言います。神様を信じる喜びを知りました。「人のために働く」ということを知りました。命の大切さは人のために働くことだと知りました。キリシタンになった人々はキリストの歩いた道を知りました。そして、その道をわたしたちが歩く。どんなことがあってもその道を歩くことを決心したのです。キリストを信じました。そのために命をささげなければならなくても、自分たちは堂々とその道を歩みます。
キリシタンはついに捕らわれてしまいました。ほかの信者のための見せしめが行われました。1597年1月3日です。京都です。前日の夜から雪が降り始めました。耳を切られました。そして、市内を引き回されました。そして、大阪に護送されました。長崎にて処刑せよという命令が出ました。1月10日、長崎に向かってします。途中で2人加わりました。大阪から長崎まで880kmあまりあります。キリシタンはある時は馬に乗せられ、ある時は歩いて進みました。腕はしっかりと縛られています。2月4日一行は長崎・時津に到着しました。舟中で一泊し、翌朝、1957年2月5日3里(12km )の浦上街道をあるき、午前10時ごろ西坂の丘に到着しました。長崎市は混乱を避けるため外出禁止令が出されていましたが、西坂の丘には4000人を越える群衆が刑場に集まっていました。 26名は刑場に入るとすぐに十字架につけられ、槍で脇を突かれ、命を神様に献げられました。26人のキリシタンは1957年2月5日西坂の丘で殉教したのです。 1862年6月8日教皇ピウス9世によって日本26殉教者は列聖されました。日本26聖人殉教者となったのです。
26聖人の中に十代の子供たちがいます。
12歳のルドビコ茨木
13歳のアントニオ
14歳のトマス小崎
19歳の五島のヨハネ草庵
19歳のガブリエル
教会に生きる。自分の信仰生活とは何かをもう一度思いめぐらして行きたいと思います。



戻る