「年間第5主日」(C年) 説教
2013年2月10日・加藤 英雄師


今日の第一朗読イザヤ書、第二朗読コリント書、ルカによる福音書を信仰年を思いながら読みました。
信仰年:信仰と向き合う。あなたはどのような信仰の道を歩んでいますか。神様のうちに毎日の生活を送っていますか。心が神様に向いていますか。そんなことを問われているように思います。神様と出会っている喜びを感じていますか。神様から命をいただいて生きている…。喜びとは何か、苦しみとは何か、悲しみとは何か、自分は何か。神様は自分の何か。それがすべて信仰ではないでしょうか。信仰年は、もう一度自分の信仰を考えてみましょうという出発です。ある人は言います。洗礼を受けてもう何十年も経っている。朝晩の祈り、食前、食後の祈りを果たしています。聖書も読むようにしています。古い信仰かも知れませんが、自分の信仰を守っています。
イエスがペトロに言われました。「舟を沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」ペトロは漁師です。何十年も魚を取っている。魚を取って生活している。イエスは陸に住む先生です。神様を語る先生です。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」ペトロはイエスの目を見たのではないでしょうか。イエス様、あなたの思いを受け入れます。決して拒否しません。
朝晩の祈り、食前食後の祈りを毎日、絶やすことなく行っている。イエスは聞きます。あなたは預言職を知っていますか。洗礼によって信徒となった。今迄の罪を赦された。神の子となった。白い服を着た。光が与えられた。たくさんの恵みをいただいた、今もいただいている。洗礼は出発です。洗礼からの道を歩む出発点です。神の国への道の出発、まことの「いのち」への道の出発です。わたしたちに示されている役割に預言職、祭司職、王職があります。今日の第一朗読イザヤ書はイザヤの召命、預言者への召命が語られています。預言者の役割:今のわたしたちの生活は、この社会は神様の思いから全く離れた生活をしている。様々な事件が起こっている。苦しみ、悲しみ、金に対する欲求が出来事を起こしている。預言者は神様から言葉を受ける。そして、人々に慈しみ、静けさ、思いやり、愛を告げるのです。「麦が茂っている。収穫は多いが、働き手がすくない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(ルカ10・2)「誰を遣わそうか。」「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」わたしは誰ですか。
シモン・ペトロ、漁師たちは舟を漕ぎ出し網を降ろした。おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。もう一層の舟に手を貸してもらったところ、魚があまりにも多く、その舟も沈みそうになった。ペトロは言った。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕る漁師になる。
自分の信仰をもう一度見つめます。神様をもう一度しっかりと、ゆっくり見つめます。神様の道具として歩みます。今日、預言職を考えました。預言者の役割を自分のものとして考えたいと思います。静かに語りましょう。穏やかに、温かく接したい。神様からの安心を語って行けますように。



戻る