「復活節第6主日」(C年)説教
2013年5月5日・加藤 英雄師


 

イエスは弟子たちと一緒に過越の食事をしています。この食事が、弟子たちと一緒に食事をするこの過越の食事が最後の食事となる。イエスは神様の愛を、命を懸けた愛を語ります。心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの思い、行いは父からのものです。あなたがたが聞いている言葉は父からのもの。わたしが行っている業も父からのものです。わたしのしの内に入りなさい。そのとき父が見える。わたしを信じなさい。わたしを信じる、わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの言葉はわたしの思いである。その時あなたは父のもとにいる。 平安でありなさい。平和を作って行きなさい。平安、平和は自分の城の中にいる安らぎではありません。「心を騒がせるな。おびえるな。」何かの出来事に心を騒がせてはいけない。おびえてはいけない。自分を脅かす出来事に心が騒ぐのですか。おびえるのですか。その出来事を受け入れなさい。受け入れることが出来る大きさになったらいい。平安、平和とは悪を受けとめることが出来るということです。悪を行う人、迫害する者、悪口を言う者、善意を妨害する者、非難ばかりする人、こういう人たちとどこかでつながっているのです。愛されたことの少ない人たち、その人たちは温かさを求めているのではないでしょうか。その人たちが、ゆったりとした流れ、微笑み、温かさを知ったらいい。その人たちは異邦人。神様のおおらかさ、慰め、生きる喜び、働く喜びを知らないのです。  イエスは言われます。わたしは去って行く。しかし、わたしはあなた方を置いてけ堀にしておかない。助け手、聖霊があなた方を包む。聖霊によってあなた方はわたしと出会う。わたしは死を超え、永遠のいのちに生きる。聖霊によって、聖霊と共にわたしは働く。 弟子たちはイエスの死を見る。心を騒がせるな。イエスは死んでしまったように見える。人々から取り去られたように見える。イエスは言われる。「わたしは去って行くが、また、あなた方のところへ戻って来る。」 わたしは父のもとに行く。新しいいのちに生きる。永遠に生きる。 イエスがあのように死んでしまったのはなぜですか。あの苦しみは神様の愛なのですか。イエスの受難、十字架の死、そして、復活、イエスの姿をいつも思い巡らして行きたいと思います。


戻る