「年間第17主日」(C年)説教
2013年7月28日・加藤 英雄師


 

  イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたようにわたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
弟子たちはイエスと一緒に生活しています。弟子の一人がイエスに言います。わたしたちはイエス様、あなたを指導者とした、あなたを中心とした共同体です。神の国を目指す共同体、信仰の共同体です。皆で一緒に祈りたい。イエス様、皆で一緒に祈る祈りを教えてください。弟子たちは、ヨハネの集団が一緒に祈っている、他の集団もそれぞれに一緒に祈っていることを知っている。イエスは答えます。祈りは、祈りの言葉を口で唱えるのではありません。祈りは天の父への語りかけです。 わたしたちは皆、天の父から命を注がれて生きています。まず、それを忘れてはいけません。神様を求め、神様を知り、神様から与えられた道を歩みます。わたしたちは新しいイスラエルです。イスラエルは神様から選ばれた民、エリートです。エリートは能力のある人たちだと思ってしまいます。エリートは自分に与えられた力を、自分のために使うのではなく、隣人のために使う、だからエリートなのです。わたしたちはそのために選ばれたのではないでしょうか。隣人のために、隣人が生きるために働くのです。
祈り求める。たとえば、出来事に直面した。手伝いたい。その出来事のために必要なものがある。自分にはその能力がない。願いなさい。祈り求めなさい。しつように祈り求めなさい。なかなか聞き入れられない。あきらめてはいけない。神様は必ず善いものを与えてくださる。なぜなら、神様はわたしたちの父です。必死に願うわが子に悪いものを与える父はいない。
父さん、助けてください、この施設がやって行けません。この施設の子供たちを受け入れてくれる所がありません。力をください。力を注いでください。しつように願い求めるのです。
何度も何度も、しつように願い求めるわたしたちに、神様は聖霊を送られる。父さんが、ご自分がわたしたちに入って来られる。人のために働けば働くほど、その人は聖霊の住む場所となるのです。
父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。
わたしたちが、神様の、父さんの思いのうちに働けますように。自分の思いではない。自分に与えられた荷物を運ぶことが出来ますように。
自分を捨て、自分に与えられた十字架を背負ってイエスに従って歩みます。
「主の祈り」はイエスと共に歩む道ではないでしょうか。


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