「年間第18主日」(C年)説教
2013年8月4日・加藤 英雄師


 

  なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。コヘレトの言葉です。 なんという空しさとは、わたしたちの周りには空しいことはたくさんある、その中の一番空しいこと、人生の空しさを嘆いているのです。
   空しいと言えば、たとえば、みんなのために、苦労して造り上げたものが、ほめられもせず、かえって不備を指摘されたり、手前勝手が悪いと指摘されたりする。皆は、手伝いを頼んでも知らんぷりだった。こちらの苦労を見て見ぬふりだった。何の報いもない。こんな苦労は空しい。
空しいとは喜びがない世界です。努力、功績が問題にされず消えて行くことです。空しさは中身がない、中身が見えないことです。自分の努力が伝わらない無念さです。
人生が空しい。わたしたちの周りに起きる出来事すべてが空しい。 人生は痛みと悩みだと言います。働く。休日出勤、手当のもらえない残業がある。家庭を犠牲にして働きなさいと言われている。家庭に悩み、痛みが絶えない。子供をよい大学に入れたい。よい会社に就職させたい。人生は出来事の連続です。全ての出来事に心が休まらない。安心がない。
人間が太陽のもとで、すべてのものを生かす太陽のもとで、心の苦しみに耐え、労苦する。実に空しい。 聖書がこの世の空しさを語っています。わたしたちが何を求めているかを静かに考えるのです。  神様を知らないのではないですか。神様が見えない。だから今日、明日に希望がない。喜びがない。神様を求めます。神様は、今も、わたしたち一人一人に語っておられるのです。
わたしたちはイエスに出会いました。イエスの姿に神様を見ました。わたしたちはイエスに従って歩むものとなりました。イエスは言われます。わたしはこの世にあって、この世に属してはいない。あなたがたもこの世にあって、この世に属していない。わたしがあなた方を世から選び出した。(ヨハネ15・19、17・14) 地上のものに心を動かされてはいけない。見える物で満足させる、安心させる。それは偶像崇拝ではないですかと教えられるのです。
イエスは財産の問題を持っている人に言われました。人の命は財産によってどうすることもできない。もし、あなたがたくさんの財産を持っているなら、それを喜びなさい。その財産は隣人を助ける大きな力となります。その財産が自分の手に入らず兄弟のところにいったら、それも喜びなさい。その財産が兄弟の手によって、人を助ける力となるからです。
あなたが今持っている物は何のためですか。食べたり、飲んだり、楽しむために使うのですか。助けを求めている人たちのためになったらいい。助けを求めている、隣人が食べたり、飲んだり、楽しむために使えればいいですね。
人生は空しいとつぶやいている人に神様の温かさを伝えることが出来ればいいですね


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