「聖母の被昇天」(C年)説教
2013年8月15日・加藤 英雄師


 

  神様は誰にも比べられないようなすばらしい女の人を造られました。その名はマリア。ある時、大天使ガブリエルはマリアを訪問します。マリア、わたしはあなたに神様の恵みを伝えます。神様はあなたの体に恵みをしるします。 あなたは男の子を生む。おめでとう。あなたから神の子が生まれる。こんな素晴らしい事はありません。マリアは驚きます。神様、わたしは小さい者、弱い者です。しかし、神様の思いはわたしの考えをはるかに超えます。神様がわたしに働かれる。これほど大きな喜びはありません。マリアは自分の生活の内に神様を知り、喜んだのです。お言葉どおり、この身に成りますように。行われますように。マリアは神様を見つめて歩みます。 しかし、マリアの生活の厳しさはイエスを身ごもった時から始まったのです。聖霊によって身ごもった。男の子を生む。その名はイエス。イエスの言葉の意味は「救いは主から」。イエスはギリシャ語です。ヘブライ語でヨシュア。ヨシュアとはイスラエルを土地に導いた指導者。マリアはヨセフと結婚します。イエスは両親に従った。 イエスは時々難しい事を言う、難しい事を語る。マリアはその出来事をすべて心に納めるのです。 父、母の生活は子供のためだと思います。わたしたちの父、母を思い浮かべます。両親は朝から晩まで働いた。何も自分楽しみはなかった。楽しみは自分たちの子供が大きくなってゆくことです。大人になったら、食べられるようになる。わたしの家族はキリストを知らなかった。しかし、キリストに出会った父さん、母さんは、子供たちに、お前たち大人になったら、神様から与えられた道をしっかりと歩みなさい、そんな事を教えながら、生活を送ったと思います。マリアは神様を大切にする生活を送っていた。毎日、イエスと共に祈ります。毎晩寝るまえに神様の話を語ったのではないでしょうか。
今日の福音書はマリアがエリザベトを訪問した出来事が書かれています。子が出来ないと思われていたエリザベトも子が出来る。その当時、子は神様からのお恵み、子がないのは神様の恵みが足りないとだと思われていたのです。マリアがエリザベトの家に入る。エリザベトに出会う。出会う喜び。その挨拶は心のつながりです。会いたかった。おめでとう。エリザベト、あなたの近況を聞かせてください。あなたの毎日の生活はどうですか。楽しい事、嬉しい事、苦しいこと、悲しい事を語り合いましょう。そして、生まれてくる、ヨセフ、イエスの母となることを噛み締めるのです。この出来事の内に神様を思う。この出来事を思う時、マリアの口からでる言葉は祈りとなるのです。
第一朗読ヨハネの黙示録の冒頭は語ります。
「天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見えた。」
マリアを語っているのかなと思うのです。マリアは神様の神殿。他の人に、ちょっと言い過ぎではないですかと問われてしまうのではないかと思います。パウロはわたしたちに言いました。 「あなた方は、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちのうちに住んでいることを知らないのですか。……あなた方はその神殿なのです。」(Ⅰコリント16‐17)
ご聖体のイエスがわたしたちの体の中に入られる。神様のおられるところ、それは神殿です。わたしたちは神殿であることを自覚しなさいと諭されている。マリアは自分の内にイエスが宿られた。マリアの温みの中に、マリアの心の動きの中に、イエスはマリアの胎(はら)の中におられた。それ以上に、マリアの心にはいつもイエスがおられる。神殿に神の契約の箱が見えたとあります。神の契約は石の板、神様の御言葉、神様の思いです。マリアの内にいつも神様の言葉が生きている、そのように思うのです。
マリアは、自分には分からない出来事があった時、心に受け入れ、思い巡らす心を持っている。 いつも神様を心にとめている。
悪に出会った時、微笑みながら、優しさを投げかける。わたしのところで休みなさい。
そして、イエスのところに連れて行ってあげましょう。手を引かれてイエスのところに行きます。 マリアはわたしたちのお母さん。
マリアは神様に呼ばれ、天国に入られた。天使たちに連れられて、天の国に入られた。 今日、母マリアを特別に思いめぐらしたいと思います。


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