「年間第24主日」(C年)説教
2013年9月15日・加藤 英雄師


 

   イスラエルはローマ帝国の植民地です。多くのユダヤ人が植民地であることを不満に思っている。特にガリラヤ地方では反ローマの衝突が起きている。小さな武器を持ったグループが立ち上がる。イエスの時代、イスラエルは不安定な時期だったのです。ユダヤ人の指導者たちは安定に心を砕いていました。イエスの出来事はイスラエルを動揺させていると指導者たちは考えていました。
貧しい、多くのユダヤ人はイエスのもとに集まる。人々はイエスの言葉によって動いている。しかし、イエスの信仰は伝統の内にあるイスラエルのものではない。
聞く耳のある者は聞きなさい。 話を聞こうとしてイエスの周りに徴税人、罪人が近寄って来た。ファリサイ派の人や律法学者の人たちが集まってくる。この集まりは会食だったのでしょうか。イエスは言います。この食事を一緒に祝いましょう。わたしたちは今日一緒に食事をすることが出来た。大地の恵みを感謝しながら、労働の実りを感謝しながら、語り合って、この食事を味わおう。
ファリサイ派の人や律法学者の人はイエスに不平を言います。イエスは罪人を招いて食事を一緒にしようとしている。イエス、あなたは罪人の仲間なのですか。会食にはテーブル・バンドという習慣があります。日本的に言いますと、「同じ釜の飯を食う」というのでしょうか、親しい友と一緒に食事をする。その者とは十分親しい友である。 ファリサイ派の人は言います。神の道を行く者は罪から離れて生活する。罪人から離れるのではないですか。 ファリサイというのは、離れて、分離してという意味があるそうです。世俗の罪から離れる。修道生活をする、神の前に純粋に生きるのです。
イエスはファリサイ派の人たち、律法学者の人たちにたとえを話し、答えます。
百匹の羊を持っている羊飼いがいました。その中の一匹を見失いました。羊飼いはどうしますか。九十九匹を野原に残して、捜し回らないだろうか。見つけるまで、懸命に捜し回る。そして、見つけたら喜ぶ。その羊を担いで、家に帰る。見つけた喜びを皆に伝える。
神様の御心は、悔い改めて神様(イエス)のもとに帰った罪人を喜ぶのではないでしょうか。
一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。 生活する。命を生きる。神様からもらった命を生きるのです。罪人は神様から離れていってしまった者です。神様は、特に、離れていった者に心を留めます。その者に呼びかけているのです。罪人は聞く耳を持っていない。わたしたちが声をかける。食事を一緒にしませんか。一緒にお茶を飲みませんか。
イエスはファリサイ派の人たちに言っているのです。ファリサイ派の人たち、あなたたちは罪人を罪の世界に追いやっているのではないですか。かえって罪人のために祈りなさい。光を与える者になりなさい。安心を与える者になりなさい。
神様の求めることは、あなたが、自分が喜ぶことではありません。隣人が喜ぶことです。隣人が喜ぶように働きましょう。


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