「年間第26主日」(C年)説教
2013年9月29日・加藤 英雄師


 

  大きな屋敷に住んでいる金持ちがいた。その門の前にラザロと言いうできものだらけの貧しい人が横たわっていた。金持ち:わたしたちは今日の第一朗読アモス、第二朗読Ⅰテモテを読みました。この金持ちも会堂に通う。会堂では有力者かも知れない。
しかし、信仰とは何ですか。信心とは何ですか。金持ちはシオンに安住し、サマリアの山で安逸をむさぼる者ではないですかとアモスは言うのです。豊かな生活によって安逸を楽しんでいる。シオンに住んでいる。わたしたちにとって、これは、洗礼を受けている、日曜日、教会でミサにあずかっている。信心業を行っている事ではないでしょうか。サマリアの山で安逸をむさぼっている。金持ち、お前たちは贅沢な生活の中でゆったりと体を自由に伸ばし、安心を楽しんでいる。
お前は門の前にいる苦しんでいるものを見ていない。豊かな生活の中にいると貧しい者を見ようとしない。金持ちにとって貧しい者は別の世界に住んでいるのだ。イスラエルが消えて行く。金持ちの安逸は、その生活は捕囚の民の先頭に立つと言われる。
ラザロの体はできものだらけです。犬もやって来ては、そのできものをなめた。犬は嫌われているもの。犬、悪い者が来てラザロを傷つける。ラザロはそれを受けとめるのです。ラザロは金持ちの家の門の前に寝っ転がっている。腹を空かせている。誰も見向きもしない。ついに、ラザロは死にました。天使たちによって、天の国、宴席に連れて行かれた。天の国の宴席、アブラハムのそばに招かれたのです。 金持ちも死んだ。豪華な葬式があげられた。しかし、陰府に落とされた。苦しい。ふと見るとラザロがいた。生前、金持ちはラザロを見てみていなかった、今、ラザロが見えた。アブラハムよ、炎の中に苦しんでいるわたしを助けるよう、ラザロをよこしてください。お前とラザロの間には大きな淵がある。それを超えることは出来ない。お前は自分によい安逸の世界にいた。ラザロは反対に苦しみの世界、悪い世界にいた。
金持ちは言う。父よ、わたしには五人の兄弟がいます。この兄弟に、こんな苦しい世界に来ないように、ラザロを遣わしてください。
アブラハムは言います。お前たちには預言者がいる、聖書がある。祈りの時間がある。その中に入りなさい。わたしにはそれが出来なかった。だから、もし、死んだ者が兄弟のところに行って、それを告げ知らせたら、悔い改めるでしょう。
アブラハムは言った。神のみ心を求めないならば、預言者の言葉を信じないならば、祈りを大切にしないならば、聖書を心で読まなければ、死者の中から生き返る者があっても、その言ことを聞き入れはしないだろう。
わたしたちの信仰、信心は何を求めているのですか。わたしたちの安心、平安は何を求めているのですか。ラザロを見つめて行きます。金持ちを見つめて行きます。


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