「年間第29主日」(C年)説教
2013年10月20日・加藤 英雄師


 

  信仰生活を送る。神様への道を歩む。
イエスは言われます。「気を落とさずに絶えず祈らなければならない。」 また、「神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほっておかれることがあろうか。」 誤解があってはいけないのですが、わたしたちは神様から選ばれた人です。選ばれたというと偉い人のように思ってしまう。それが、誤解です。そうではないのです。選ばれた人は自分のためでなく、隣人のために働くのです。生きるために苦労している人を手伝うのです。選ばれた人は与える人です。生きようとしている隣人のために聞く者となる、与える者となるのです。わたしたちは人のために働く神様の道具です。
祈り求める。願い求める。
自分の力ではどうしようもない事が起こった。苦しい、逃げたい。祈ります。助けてほしい。祈りに力が入る。 付き合いたくない人と一緒に仕事をしなければならないことになった。祈ります。神様、静かな心を与えてください。平安をください。 母に癌が見つかった。入院した。余命は三か月と聞かされた。祈る。必死に祈る。寝る間も惜しんで祈る。本人には知らせていない。見舞いに行く時は、微笑みながら会話をする。自分にとって祈り求めたいことがたくさんある。
自分の問題ではない事のために祈る。 大島でまた災害があった。台風の被害に次いでまた助けを求めている。シリアの内戦が終わらない。政府軍に囲まれた街は食べ物がない。
祈る人は求めている。神様、力をください。困難を打ち砕く力をください。敵対する人を打ち負かす力をください。 神様は言われます。気を落とさず絶えず祈り求めなさい。 自分たちにはとても受け取れそうもない困難にぶつかっても、決して気を落としてはいけない。その苦しさを冷静に受け留めなさい。 憎たらしい奴、合わない人が目の前にいたら、その人の言葉を聞きなさい。悪口、皮肉を静かに聞きなさい。心が暗くならないように祈りなさい。そのようなことは、自分の力では受け入れられない。出来ない。だから祈りなさい、祈り続けなさい。祈りは与えることを教えます。

パウロは言います。自分が学んで確信したことから離れてはなりません。わたしたちはイエスに出会った。祈りを知った。イエスの言葉、業に神の愛を見た。イエスを信じるーその信仰から離れてはいけません。毎日の生活の中で祈ります。聖書を読みます。善の業を行います。
祈りを知った。イエスとつながった。イエスの言葉、業が見えた。聖書が読めた。
わたしたちはこの世に生きています。この世は物を、知識を求める世界です。煩わしさが自分にかぶさる。静かに受け取れますように。祈ります。志を以って語れば、行えば、必ず敵対する人が現れます。煩わしい出来事ではありません。敵対するものをどのように受け止めるか。どのようにつながってゆくか。
祈りは願い求めるためのものでしょうか。絶えず祈るとは、いつも求めるということなのでしょうか。祈りとは、静かに神様と出会うことではないです。神様と語り合う時間です。それ以上に、神様の前に坐ることです。絶えず祈るとは、神様の中にいることです。 苦難から逃げるのではない。苦難の中で苦しんで立ちがるのです。

祈り求めなさい。神様は絶えず祈り求める人の声を聞かれる。神様の心の中に入ることが出来ますように。絶えず祈りながら、信仰の道を歩むことが出来ますように。


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