「主の降誕(夜半のミサ)」(A年)説教
2013年12月25日・加藤 英雄師


 

  クリスマスおめでとうございます。今日、イエス様がお生まれになりました。赤ちゃんのイエス様がわたしたちと一緒に生活なさいます。本当に不思議です。神様が人となって、わたしたちと一緒に生活される。もっと不思議なことは、神様が人のために働くために来られたのです。
 人は考えています。命とは何ですか。何のために生きるのですか。神様とは何ですか。人とは何ですか。イエス様は神様の不思議を語ります。イエス様は人の命の、生きるすばらしさ、友のすばらしさを示されるのです。
 およそ2000年前、イスラエルはローマ帝国の植民地でした。ローマ皇帝アウグストゥスは、全領土の住民に登録をせよとの命令を出しました。人々は皆、登録するために自分の出身の町に旅立ちました。ガリラヤの町ナザレに住む、ヨセフとマリアもヨセフの出身の町ベツレヘムに、向かって旅立ちました。マリアは身ごもっていました。ベツレヘムにいるうちにマリアは男の子生みました。
 男の子は飼い葉おけに寝かされました。どの宿も満員で、ベツレヘムでヨセフとマリアは家畜小屋に泊まっていたのです。
 ユダのその地方に、羊飼いたちが野宿をしながら羊の群れの番をしていました。たき火にあたっている。星を見ている。その時、主の天使が近づいた。主の栄光が周りを照らした。天使は言う。今日、ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。布にくるまって飼い葉桶に寝ている。これがあなたがたへのしるしである。
 羊飼いたちは、急いで、ベツレヘムに行きます。小さな家畜小屋に着きます。そして、ヨセフ、マリアと出会う。何よりも、飼い葉桶の中に寝る乳飲み子イエスと会うのです。
 信仰について、また、羊飼いについて考えたいと思います。羊飼いは尊敬される仕事ではありませんでした。 三つの言葉が出てきます。ダビデの町ベツレヘム、羊飼い。
 ダビデは羊飼いでした。ダビデはベツレヘムに住むエッサイの子です。イスラエルの王サウルが神様から外されて、預言者サムエルはイスラエルに新しい王を求めるべく、主の言葉に従って、ベツレヘム、エッサイと出会うのです。エッサイの子から王を選ぶ。エッサイの息子一人一人がサムエルの前を通る。サムエルは一人一人見た。いずれもすばらしい青年。容姿、背の高さ、教養が光っている。どの青年を選ぶのか。主は言われる。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。あなたの息子はこれだけか。末っ子が残っています。今羊の番をしています。主はサムエルを通して、末の息子、羊の番していたダビデを選んだのです。
 ダビデはベツレヘム出身です。ベツレヘムはパンの家と言う意味です。ベツレヘムで、パンの家でイエスが生まれた。不思議ですね。イエスはまことのパン。イエスは命のパン。
 信仰:信仰とは、聞いて、信じて、歩き始め、行うことです。聞いてそうかと思う、本当にそう思う、いいことです、しかし、それは信仰ではない。信心です。机の上の出来事です。
 羊飼いたちは自分たちの上に起こったこの出来事に驚いた。心が騒いだ。主の栄光を見た。天使の声を聞いた。天使は、自分たちに語られていることを知った。羊飼いたちはこの出来事をそのまま受けとめ、信じた。ベツレヘムに行こう。出かけた。燃える思いで出かけたのです。
  信仰とは自分を超えた力に身を開くのです。
 今日、イエス様の誕生を祝っています。イエス様は赤ちゃん。信仰の赤ちゃんである自分を思い、 イエス様と始めから歩き始めたいと思います。


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