「年間第2主日」(A年)説教
2014年1月19日・加藤 英雄師


 

  ヨハネと弟子たちはイエスが歩いているのを見た。イエスの姿がヨハネと弟子たちに迫ってくる。ヨハネは言います。見よ、あの方は世の罪を取り除く神の小羊だ。わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである。
 わたしはその方を知っていると思っていた。その方が洗礼を求めてわたしのところに来られた。わたしはその方に洗礼いを授けた。その時、わたしはその方を見た。その方を知った。
 イエスとヨハネは親戚です。小さい頃からお互いを知っていた。伝承によると、エッセネ派でしょうか、砂漠にある同じ修道院に入っていたと聞きます。わたしはその方を知っていたと思っていたのです。 わたしがその方に洗礼を授けた時、霊が鳩のように天から降って来て、その方の上にとどまるのを見ました。その時、水で洗礼を授けるためにわたしを遣わされた方が、その方こそ聖霊によって洗礼を授ける人であると、わたしに言われたのです。
  その時、わたしはその方大きさを知りました。その方がわたしよりも先におられる方だということを、わたしよりも優れた方だということを知りました。神様がわたしをその方の準備の者として選ばれたのです。その方は聖霊と火によって洗礼をお預けになるのです。すべては神様のみ心です。
 見よ、世の罪を取り除く神の小羊。イエスが世の罪を取り除く方。
 この箇所を読んだ時、わたしはモーセの出エジプトの出来事を思い巡らしました。モーセはエジプトからイスラエルを導き出し、人は人の奴隷となってはいけない、命は神様から頂いたもの、人として尊厳を持って生きなさい、神様のみ言葉のうちに、イスラエルはカナンの地・イスラエルに入ったのです。エジプトからの出発の夜、イスラエルの人々は過越しの食事をとりました。出エジプトを忘れてはいけない。神様がイスラエルを導かれたこの出来事を決して忘れてはいけない。過越祭を毎年祝う。過越しの食事を行うのです。過越しとは神様からの命が守られ、新しく出発することです。 最後の晩餐はイエスにとって、弟子たちと祝う最後の過越しの食事です。最後の晩餐、これがミサです。新しい過越しです。
   モーセは過越しの食事の後、イスラエルに向かって旅立ちました。イエスはミサの後、この世から神の国に向かってわたしたちを導いておられるのです。
 世の罪を取り除く方。この世にはたくさんの誘惑が力を持ってうごめいています。イエスは罪の出来事を受けとめます。どのような罪であっても、どんなに残酷な罪であっても、受けとめられます。罪を食べ、消化します。罪を排斥するのではありません。罪を、罪人を愛の力で覆うのです。イエスはわたしたちを覆われました。わたしたちがイエスが歩かれた罪からの解放の道を歩み、進みながら、神の国に入って行くのです。罪からの解放の道とは、正義、公平、憐み、慈しみ、与えつくす愛への道です。
 イエスが神の小羊。
 モーセが神様からのすべての言葉すべての法(契約)をイスラエルの人々に読み聞かせました。その時、いけにえの血をとって半分を祭壇に振りかけ、残りの半分を人々に振りかけました。(出エジプト24・3~) 血は契約の証しです。血は命です。神様からの契約は命の約束です。神様からの約束を大切にする。命をかけて行う、命をかけて守るのです。イエスが契約の、いけにえの小羊。神様から与えられた契約はイエスの血によって結ばれたのです。イエスの「いのち」によって結ばれたものです。
 わたしたちは皆、イエスに出会いました。 イエスの姿のうちに神様がおられます。イエスの言葉をしみじみと受け取り、イエスから与えられた道を歩みます。イエスの十字架、復活を見つめ、与えられている「いのち」を喜び、働いて行きます。


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