「年間第6主日」(A年)説教
2014年2月16日・加藤 英雄師


 

  信仰は義において律法を完成する道である。今日の聖書を読み、信仰、義を考えて行きたいと思います。
 神様を知っていた。いや、知らなかった。その時、神様に出会った。神様が呼びかけておられると気付いた。神様がわたしの中に入って来られた。神様、わたしはあなたについて行きます。導いてください。わたしはあなたをいつも思い巡らします。あなたのうちに生きたいのです。神様の思い、掟を守ります。あなたの思いのうちに歩みます。快く、忠実にあなたから示された道を歩みます。神様と共に歩く道が始まります。
 お前の前には火と水、生と死、善と悪が置かれている。手を差し伸べて欲しい方をとればよい。望んだ道が与えられる。生を選ぶ。隣人のために働きなさい。隣人に与える者となりなさい。自分の中の欲求をに見つめなさい。自分のために益を求める欲求を火で燃やしなさい。与えることが生きること。与えることが善。
 神様に向かって歩む。与えながら歩く、善を喜び、行う。信仰の道を歩む。
 イエスの姿に義を見ます。 イエスは律法をよく知らないのではないか。イスラエルの伝統が記されている聖書をよく読んでいないのではないか。イエスは毎日神を語っている。癒しの業、かみさm悪霊を追い出している。死んだ人が生き返ったと言う話も出て来る。イエスの噂は力となってくる。イエスに批判、疑問があるのです。エルサレムに住む律法学者やファリサイ派の人々がイエスに会いに来る。イエスは言われます。わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである。最も小さいものと呼ばれている掟も大切に守りなさい。
 義とは何ですか。 神とのつながりです。人が神様に求めるつながりではなく、神様が人に与えられるつながりです。神様があなたを神様の道具として求めておられる。そのつながりです。
 あなたはどこに、どのように義を現していますか。イエス様の時代に、律法によって、律法を守ることによって神様とのつながりを求められました。イエス様は言われるのです。律法は神様の思い、み心の内にある。神様の内に入らなければ律法は守れない。神様と共に歩む人が律法のうちにいる。どのような小さな律法でも守ることが出来る。義は生きておられる神様との直接のつながりです。
 福音書を読みます。
 殺すな。殺人を犯した人は裁きを受ける。神様のみ心に反することを非難、糾弾する。悪の行いを追及する、人の愚かさに腹を立てる。義に反しているからと言って腹を立てる。しかし、その義は人の世の義ではないですか。神様から与えられている義をもってその出来事を見るのです。兄弟に腹を立てるものは義にふさわしくない。兄弟が悪を行った。悪い奴だと腹を立てる。神様の求める義は、その兄弟に回心を求め、手を差し出すのです。神様のもとに帰ろうよ。
 悪を非難する者よ。あなたはどれほど義に純粋に生きていますかと問われます。
 兄弟を非難する前に、隣人を非難する前に自分の悪を思い返しなさい。
 神様は厳しく言われます。兄弟、隣人を非難する者よ、まず自分の義を見つめなさい。
 もし、ますます純粋に義のために生きるなら、妨げるものを切り捨てなさい。目がつまずかせるなら目を抉り出して捨ててしまいなさい。右の手がつまずかせるなら切り取って捨ててしまいなさい。
 誓いを立ててはいけない。弱い、不十分なわたしたちは誓いを立てることが出来ようか。
 信仰は義において律法を完成する道である。


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