四旬節第4主日」(A年)説教
2014年3月30日・加藤 英雄師

 

 イエスは通りすがりに、目の見えない人に出会った。弟子たちは尋ねる。生まれつき目の見えない人はどんな罪を背負っているのですか。誰の罪を背負っているのですか。イエスは言われる。この人の体が不自由なのは神様と出会うためである。目の見えない人、歩けない人、手のない人、話すことが出来ない人たちは自分たちは体が不自由だ、生きることが出来ない、苦しいと思ってしまう。神様はあなたたちを特に見つめている。不自由ですか、その不自由さは神様の自由に出会うためのものです。神様の内に自由がある。 神様の思い、力が今ここにある。神様のみ心を行う者が働かれる。夜が来て、光が見えなくなる前に、昼の内に神様の光を受けよう。(イエス様の出来事でしょうか。)
  イエスは地面に唾をして、こねて、その人の目に塗られた。そして言う。シロアムの池に行って洗いなさい。
 土で顔が汚れている人が、人に道を聞きながら、シロアムの池に行きます。目を洗う。遣わされた者のところから出て、遣わされた者のところで、水で体を清めた。目を清めた。目が開いた。
 ファリサイ派の人たちがその人に尋ねる。
 どうしてお前の目が見えるようになったのか。  あの方がわたしを癒されました。
 遣わされた方によって目が見えるようになったのです。 お前はあの人をどう思うか。
 あの方は神様から遣わされた方。預言者です。 今日は安息日だ。その人は安息日を守らないから、神様のもとから来た者ではない。あの者は律法の内にいない、なのに、お前はあの人を預言者という。お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか。
 彼らはその人を外に追い出した。
 イエスは外に追い出されたその人に出会い、言われた。 あなたは人の子を信じるか。
 その方はどんな人ですか。その方を信じたい。
 あなたはその方を見ている。今、あなたの前にいる。あなたと話している。
 彼はひざまずいて言う。 主よ、信じます。
 目の見えない人はイエスに出会った。
 今、ここに、光の内に、命が生まれた。
 起きて、立ち上がり、歩き始めなさい。
 その人は隣人が見える。自然の豊かさが見える。
 これほど与えられているのだと心と体で知る。
 安息日はいのちの喜びの日。神様の日。
 その人は神様を知ったです。



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