聖金曜日・主の受難(A年)説教
2014年4月18日・加藤 英雄師


 

  聖金曜日、今日、イエスは十字架に釘付けされ、死なれました。人々は、わたしたちはイエスを拒否した。死ぬほど憎んだ。イエスがわたしたちに何をされたのか。わたしたちがイエスに何をしたのか、何度も何度も思い巡らしたいと思います。
ゲッセマネの出来事です。一隊の兵士たちと下役たちがイエスのもとに来た。弟子たちは戦う。イエスは言われる。剣をさやに納めなさい。父がお与えになる杯は飲むべきではないか。 主イエスが捕らえられた。弟子たちは、皆逃げた。万軍の主である神が助けに来ない。この出来事の中にいる。ペトロはどうしようもなく苦しい。苦しくて、苦しくて、いても立ってもいられない。イエスの連れて行かれた大祭司の館に入った。門番の女が問う。そばにいた人たちが問う。お前はあの人の弟子ではないか。わたしたちはお前があの人と一緒にいるのを見た。ペトロは打ち消す。三度目に打ち消した時、鶏が鳴いた。鶏の鳴き声がペトロの心を刺した。ペトロは自分を見た。
イエスは大祭司の館から総督官邸に連れて行かれます。お前がユダヤ人の王なのか。総督であるピラトが聞く。イエスは答えられる。わたしの国はこの世には属してはいない。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。 ピラトはイエスに罪を見いだせない。
ピラトはイエスを鞭打たせた。兵士たちはイエスに茨の冠をかぶせ、紫の衣を着せ、平手で打った。ピラトは言う。この姿をユダヤ人たちに見せよう。この男は何もできない。この男がユダヤ人の王でないことを知る。ピラトはユダヤ人の前で叫ぶ。「見よ、この男だ。」 ユダヤ人たちは叫ぶ。「十字架につけろ。十字架につけろ。」 
祭司長たちは言う。わたしたちには皇帝のほかに王はありません。 イエスは午前9時ごろ、十字架に釘付けにされた。午後3時ごろ、渇くと言われた。そして、成し遂げられたといい、頭を垂れて息を引き取られた。
イエスはわたしたちに何をしたのか。イエスの語られる場は町の中です。イエスは人と出会います。をかける。罪から解放されたいと願っている。まず、自分を見つめたらいい。自分の欲求、自分の安心を求めている心を見つめたらいい。神様は苦しんでいるあなたを見ている。あなたを心にかけている。 イエスは業を示される。体が不自由だから心が不自由になってしまう、といってはいけない。不自由さから解放されなさい。体を癒す、悪霊を追い出す。
貧しい人たちはイエスと出会った。イエスに神様の力を見た。イエスは言います。生きている神様と出会いなさい。
生きている神様に願いなさい。生きている神様の道を歩みなさい。
神様と出会った、神様を知った。隣人と出会った。隣人を知った。支えられていることを知った。支えることを知った。その時が神の国の始まりです。
神様は言われます。イエスはわたしたちの背きのため、わたしたちの咎のために捕えられた。過ちを担い、背いた者のために執り成したのはこの人であった。これがわたしの僕である。神の子である。神である。
わたしたちはイエスに何をしたのでしょうか。イエスに語るなという。業を示すなという。お前は自分を神としているのではないか。神の思いを語る。神のように裁く。イエスは律法を軽んじている。律法は神のみ心ではないか。しかし、イエスは律法の内に神はいないという。律法によって神の道を歩む、律法によってイスラエルは一つではないか。イエスの語る神はイスラエルの神ではない。イスラエルを混乱に陥れている。イスラエルの神様からのしるしは:土地、神殿、そして王ではないか。イエスは王としてユダヤを支配するのか。 イエスが捕らえられた。人々はイエスに神を見ている。十字架につけられて死んだ。律法学者は言います。木にかけられた死体は神に呪われている。(申命21・22~)お前たちの神の人は呪われている。律法がイエスを殺したのではないでしょうか。
イエスの死を思い巡らします。天の父の完全な僕となったイエスが与えるものとなった。人に心を与える、体を与えるものとなった。父に対してまったく無となったのです。人のために苦しみを、痛みを、罪を負いなさい。
イエスの十字架の死を感謝します。


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