「復活の主日・日中のミサ」(A年)説教
2014年4月20日・加藤 英雄師


 

  イエスの出来事を知っていますか。出来事には「ことば」という意味があるそうです。
イエスは「みことば」です。ユダヤ全土に「みことば」が働かれた。わたしたちはイエスの出来事、神の「みことば」の働きを見たのです。「いのち」の出来事です。イエスの語られた言葉は神様の思い、憐れみ、慈しみです。イエスの業は神様の力強い慰めです。悪霊を追い出し、死者に命を与えられました。イエスは命をそのみ手に持っておられます。イエスを信じる者は誰でも罪の赦しが与えられ、神の「いのち」の道を歩きます。
わずかなパン種は練り粉全体を膨らませる。わたしたちはパンとなる練り粉です。パン種を得てパンなる。隣人に食べてもらうパンになるのです。新しいパンになる。わたしたちは洗礼を受けて新しいパンになったのです。新しいパンになりつつあるのです。古いパン種は捨てました。古いパン種とは、もらいたい、もっと豊かになりたい欲求のパン種です。わたしたちは主の復活を祝いました。過越の祭り。キリストのパン種のうちに、温かく膨らんで、人を包む食べ物になりたいですね。
日曜日は主イエスの復活を祝う日です。新しい完成に向かって歩く、出発の日です。
マグダラのマリアがイエスが葬られている墓に行きました。静かにイエスに会いたい。わたしはイエスを深く愛している。その思いのうちに墓に急ぐのです。墓の入り口に石が取り除けられている。墓を見る。墓の中にイエスはいない。どこに置かれているのか。マリアはペトロともう一人の弟子のところへ行く。イエスが墓の中にいないと叫ぶ。ペトロ、もう一人の弟子が墓に着く。イエスはいなかった。イエスが墓を去ったことを信じた。
イエスはマリアに言います。マリア、わたしは墓の中にはいない。わたしの過去の思い出の中でわたしに会うのですか。わたしの死は新しい命への出発です。わたしは新しい命に生きています。
イエスはペトロ、もう一人の弟子に言います。 わたしの出来事は墓の中に留まる出来事ではない。わたしの出来事は今も生きている。わたしの語った言葉、わたしの行った業、わたしの対話、わたしを囲んだ人々、かかわった人々の出来事は今も生きている。その中に入りなさい。わたしの出来事を思い出として知るのではなく、今、あなたへの呼びかけとして受け止めなさい。
復活とは、自分を捨て、与える者として歩くことです。
十分休んだかい? 立ち上がって、起き上がって、歩こう。一緒に歩こう。


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