「復活節第4主日」(A年)説教
2014年5月11日・加藤 英雄師


 

  この門を通って羊の囲いの中に入りなさい。羊が住む所が用意されているんだと思いました。羊の住むところは神の国かも知れない。神様の造られたぶどう園かも知れない。ぶどう園が神の国かなとちょっと思ってみました。
神様がぶどう園を造られた。ぶどう園で造られた者を分かち合いなさい。ぶどう園は人のために働くところです。ぶどう園は力、能力によって賃金があるのではありません。能力のある人はそれだけ人のために働くことが出来るのです。ぶどう園で働くことは誇り、喜びです。人のために働けば、働くほど、助けを求めている人が助かる。ここで働く者が羊飼いの囲いの門を通って入る。賃金は「いのち」の喜び。心して働けば働くほどいのちの深さを知るのです。
イエスは言われます。この門を通らないでぶどう園に入ってはいけない。他のところを乗り越えて入って来るものは、ぶどう園に何を求めているのか。自分たちが造ったものをぶどう園の主がとってしまうのはおかしい。全部自分たちのものにしたい。(マルコ12・1~) 
ぶどう園を自分たちのものにしたい。また、自分たちの能力によって賃金を得る。賃金を公平に支払うように要求する。それが律法ではないか。(申命記24・15、レビ19・13)
ぶどう園はいつくしみの園、与える者として働く場所です。神様は人を与える者として造られた。このぶどう園で皆が与え者となる。これこそ神の国の出発ではないかと思うのです。先ほども言いましたが、能力のある者はその分多くの人を助けることが出来る。賃金はその人の必要なだけです。力のない人も自分の精いっぱいの仕事をします。そして、賃金はその人の必要に応じて得ることが出来ます。
ぶどう園で働く小羊は羊飼いの声をよく知っている。むしろ、羊飼いの声を求めている。羊飼いの世界で生きたい。羊飼いは言います。わたしが羊飼いの門である。ぶどう園を造っている者である。わたしの思いのうちに働く、生活する。ぶどう園で憐みとは何であるか、救いは何であるかを学び、知りなさい。
わたしがあなたたちのところへ来たのは、わたしが羊飼いとなったのは羊が命を受けるため、豊かに受けるためである。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。
神様はわたしたちにご自分のみ旨を示すためにイエス様を送られたのです。今迄、何十人という預言者を送られました。人は神様から送られた預言者の人たち全部を迫害し、追放し、殺害したのです。神様は、神様の思い、言葉、行いを示されるイエスを送られたのです。
今、人の歩いている道は神様のみ心とは違う。善を行って豊かになるのではない。善を行って貧しくなる。善に得を求めてはいけない。貧しくなりながら善の世界を造って行くのです。貧しくなる? 与える者は貧しくなります。わたしたちは選ばれた者です。ぶどう園で働く者です。わたしたちは羊飼いの足跡を知っている。その足跡が続いている道を、足跡に沿いながら歩きます。
それが神様のみ心ではないでしょうか。


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