「聖霊降臨の主日」(A年)説教
2014年6月8日・加藤 英雄師


 

  聖霊を大切にする。三位一体、父と子と聖霊が神様のお名前です。父、子は心に思い浮かべることが出来る。しかし、つい、聖霊という神様を忘れている。 今日、カテドラル大聖堂で、大司教様、司教様により堅信の式があります。宣教協力体で聖霊の勉強会がありました。聖霊について、わたしも勉強しました。聖霊、来てくださいと祈りました。 聖霊について知れば知るほど、聖霊が好きになってくる。聖霊によってすべての出来事が、神様のみ心のままに動いていると知るのです。 神様の思いが聖霊によって現実となる。 天地創造:天の父が思う。子に天地創造を行いなさいと言われる。子は聖霊によって時間、空間、そして、見えるもの、見えないものを造られる。神はこのように天地を創造されたのです。父の思いがある、子が父の思いを受け取る、聖霊がそれを現実のものとする。
ヨハネによる福音書の1章、1節。「初めにみ言葉があった。」初めに父と子が聖霊のうちにおられた。神の名は「わたしはある。」 「わたしはある」とはあるという状態の上におられるということです。見えるもの、見えないものを造る。命を与える。あるものとする、変化させる、消してしまう。父の思いは子の思い、それが聖霊によって実現する。

五旬祭の日が来た。一同が一つになって集まった。天から激しい風が吹いてくるような音がして、家中に響いた。一同は聖霊に満たされた。 この表現は「満たされた」表現だそうです。五旬祭がこの日満ちた。五旬祭は収穫の祝い、感謝の祭りです。神様の恵み、収穫を感謝し、祝う。主に新穀のささげものを献げる。神様の恵みによって生きる。力を得る。新しい出発の時が始まる。
使徒たち、弟子たちが一つの家に集まっている。弟子たちが、弟子たちの心が家に満ちている。 天からの風が家中に満ちた。 一同は聖霊に満たされた。

弟子たちに風、霊が注がれた。弟子たちは語り始める。弟子たちは霊に満たされ、弟子たちは語り始める。言葉が出て来る。炎のような舌が弟子たちに入り、霊が弟子たちを通して語りはじめるのです。 家の中で何かが起こっている。大勢に人たちが集まって来た。驚いた。弟子たちの言葉は自分たちの言葉ではないか。その言葉を聞く、懐かしさに心が和らぐ。懐かしい言葉、心が温まる言葉。 言葉:自分の心の響きが言葉になっていますか。神様を言葉で表現するのですか。いや、神様をあなたの言葉で表すのではないのです。あなたの持っているその言葉から離れた言葉で語りなさいと言われているように思います。
たとえば、「イエスは御言葉である」という言葉があります。イエスに出会い、イエスを知り、イエスとつながった時、イエスの言葉が心に入ってくる。イエスにつながっている。イエスが言われる。わたしに従いなさい、イエスのその言葉が心に体に響く。安心しなさい。何もあなたを辱めはしない。貧しい者は幸い。イエスの言葉によって心と体が動いている。

炎のような舌が弟子たちの上にとどまった。弟子たちはっ聖霊に満たされれて語る。自分の思いではない言葉が出て来る。その言葉が本当の言葉ではないでしょうか。懐かしい、耳で聞いているのではない言葉、心で聞いている言葉。その言葉に神様への賛美が聞こえるのです。

日曜日。弟子たちは家に集まっていた。家のすべての戸に鍵をかけていた。弟子たちの心の戸にも鍵をかけられている。誰も入って来るものはいない。誰も入らせない。突然、イエスが来て、皆の真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われた。「シャローム」普通の挨拶です。
イエスは言われていました。「わたしは平和をあなた方に残し、わたしの平和をあなた方に与える」弟子たちは主を見た。命を超えるいのちを見た。主を見て喜んだ。
「あなた方に平和があるように」 生きる。隣人に生きる姿を求める。与えなさい。生きる姿を見て喜ぶのです。人を愛する日々、それがわたしの平和です。戸を開き、外に出かけなさい。 イエスは言われます。聖霊を受けなさい。イエスは弟子たちに息を吹きかけた。聖霊によって語る者となりなさい。罪人の心に入りなさい。罪人に語りかける。聖霊の言葉はその人を清める。
  


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