「聖ペトロ 聖パウロ使徒」説教
2014年6月29日・加藤 英雄師


 

  今日、聖ペトロ、聖パウロを特に、心に留め、信仰、教会、隣人、自分、神様を思い巡ながら、祈りに入って行きたいと思います。
イエスと弟子たちはフィリポ・カイサリアにいます。 フィリポ・カイサリアはヘロデ大王がローマ皇帝アウグスティヌスから与えられたところです。そこに皇帝のために神殿を造った。息子ヘロデ・フィリポ王はフィリポ・カイサリアの町を大きくした。ローマにあるような円形の会場を造り、芝居を楽しんだり、競技を楽しんだ。この町には、ギリシャの神殿があり、古くバールの祭儀場もあった所だった。この町の支配者によって、いろいろな神殿が造られたところ。
ここフィリポ・カイサリアでイエスは弟子たちに問います。 人々にとって神とは何か。人々は神に何を求めているのか。そして、人の子のことを、わたしのことを何者だといっているのか。フィリポ・カイサリアは皇帝の神殿がある所、ギリシャの神々の神殿がある所、バールの影響がある所、そして娯楽の町。イエスは、この町であなたにとって神様は何ですかをはっきり心に留めなさいと言われているように思うのです。 この社会、この世で、様々な誘惑の中で神様は何か。わたしは何者か。
ペトロは言います。「あなたはメシア、生ける神の子です。」 
イエスは言われます。「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、わたしの天の父なのだ。」 あなたに天の父の思いが注がれた。あなたはぺロト(岩)。この岩の上に教会を建てる。あなたの天の国の鍵を授ける。教会、天の国の鍵、あなたはこの役割を自分の力で負うのではない。あなたが空になり、自分を捨て去った時、聖霊が注がれ、聖霊によって力が生まれる。 
ペトロ、あなたは小さい、弱い者ですよ。自分の努力によって進んで行くのではない。自分を捨てなさい。支配は世話をすることです。それを忘れてはいけない。そのような事をイエスは言っているように思います。

パウロを思い巡らします。パウロは力強い方。一心不乱に信仰の道を走った、信仰のまことをいきた方。ペトロ、パウロはイエス・キリストから与えられた見えない教会を社会の中で、生きるものとする、社会の中で働くものとする、教会が神のみ心を行う者となるために、働いたのです。その道が信仰の道です。
パウロは言います。わたしは異邦人の方へ行く。(使徒言行録13・46)
イスラエルを選ばれた神の思いは、イスラエルを神の祝福の源とするためです。イスラエルによって諸国の民すべてが神を知る。神の恵み、神の愛を知る。全ての人が生きる喜びを知るためです。
神は、今、イスラエルに閉じ込められている。異邦人は神を知らない者。異邦人と戦っている。神はすべての人を造られている。異邦人も神の命によって生きている。異邦人も神の子ではないか。異邦人は神を知らない。わたしは異邦人に神を告げ知らせに行く。それがわたしの務めである。

パウロは神を告げ知らせます。安心とは、平和となんですか。救いとは何ですか。神様と出会いなさい。どこまでも、どこまでもキリストから与えられた道を歩みなさい。恐れることがあろうか。この思い、この心は神様からのものではないか。
パウロはどこまでも、どこまでもどんな困難にあっても神を告げ知らせました。

愛しなさい。愛する人は神の愛を知っている。神から愛されていることを知っている。神から愛されていることを知っている人が隣人を愛する事が出来る。
愛する。それは生きる喜びを、一緒に味わうことです。人が、皆、生きる喜びの内に生きていますか。求めている人がたくさんいる。それを知る。
体の不自由な人。両親と一緒に住めない子供たち。語り合う友のいない人たち、誰もわたしの話を聞いてくれない、孤独を感じている人たち。
愛が見えない人たちがいます。自分と家族のことしか見えない人たち。自分の豊かさを求める人たち。お金のために働く人たち。名誉のために働く人たち。
わたしたちに教会が与えられた。わたしたちは社会生活に縛れている。牢獄に入りなさい。自分を見つめる。神を見つめる。思い続けなさい。ずっと思い続ける。そして、ついには思いから離れる。その時、我に返って、縛られているものから自由になる。今、初めて、本当に事が分かった。(使徒言行録12・11)


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