「年間第17主日」(A年)説教
2014年7月27日・加藤 英雄師


 

  わたしたちは地獄、煉獄、天国をそれほど深刻に考えていないのではないかと思います。自分たちがそこに迎え入れられるとは思っていない。地獄、煉獄、天国について考える。地獄はそんなにすざまじいものなのか、煉獄の苦しさはどんなものか、天の国は聖人たちの行くところ。そんなように、頭の中だけで終わってしまってはいけない。
今日、また、イエスは天の国のたとえを話されました。 自分たちの今の生活を見つめなさいと言われているのです。天の国は働くのが好きですという人の集まりです。困っている人を見つけたら、黙ってはいられない。その人のために何が出来るか考える。そっと手伝いをする。天の国は働かなければ食べて行けないというところではありません。

天の国から人の世を見る。人があんなに悩んでいる、苦しんでいる、職がない。食べる物がない。憎しみ、悲しみ、羨んでいる。その人たちを見ると自然に祈りの世界に入ってしまう。
天の国は働くところなんですか。働くのがそれほど大切なのですか。 働く、それはつながることです。つながるとは生きることではないですか。天の国は、天の国の人たちは生きているのです。

天の国は宝物が隠されている畑のようですと言われます。その当時、戦いがあると、お金を持っている人は地を掘ってお金や、貴重な物を隠したそうです。宝の隠してある畑を見つけた。持ち物をすっかり売り払ってその畑を買う。その人は、畑はほっておくと、草が芽生える、木が生えてくることを知ることになります。宝物を隠していた畑は生きている。そして、果物、野菜を生むところだと知るのです。畑が恵みを生む場所。畑が宝物。いや、働きかけて、宝物が生まれる。畑が宝物だと知るのです。
天の国は善い真珠を探す商人の姿に似ていると言われます。毎日、毎日、町や村へ足を運ぶ。何も得られない日が続く。そしてついに、高価な真珠と出会う。感動の思いのうちに、持っているものをすっかり売り払って、その真珠を買う。そんな情熱がほしいですね。
真珠の輝きに魅せられる。真珠の輝きに魅せられ過ごすうちに、ついに知ります。真珠を造られた力、みことばが真珠を包んでいる。

天の国と出会う有様。畑が生きていることを知った。畑を生かすことが天の国。高価な真珠に心を動かす。そして、高価な真珠を造られる力を知った。善いものが見える。善いものを造る心がある。みことばを知った。

天の国は漁師の働く姿の世界です。網が湖に投げ降ろされいろいろな魚を集める。網が一杯になると、人々は網を岸に引き上げる。湖は社会。舟は教会。みことばが、人とのつながりが網。魚が泳いでいる。みことばに出会う。泳いでいない魚は、自分の内に閉じ籠っている魚は出会いがない。岸で、善いものは器に入れられる。悪いものは投げ捨てられる。このようなことが世の終わりに行われるのです。
悪い魚は湖に投げ捨てられる。悪い魚にも、生きる命が与えられている。今、善いものへの道を歩きたい。善いものになりたいと思う。

イエスは天の国のたとえをたくさん話されます。天の国の話は、今、わたしたちがどんな道を歩んでいますか、と問われているのだと思うのです。

地獄、煉獄、天の国をしっかりと思いめぐらして行きたいと思います。



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