「年間第19主日」(A年)説教
2014年8月10日・加藤 英雄師

 

  今日の第一朗読、列王記でエリヤの話が語られます。 シドンの王の娘イゼベルがイスラエルの王アハブに妻として迎え入れられました。イゼベルはバールの預言者を数多く引き連れて来たのです。アハブはバールの礼拝を許していました。エリヤは強く批判します。 そして、カルメル山での対決がありました。どちらがまことの神とつながっているか。バールかイスラエルの神か。エリヤは奇跡によってイスラエルの神こそまことの神であると証し、示したのです。
エリヤはバールの450人の預言者を殺した。イゼベルはそれを知り、怒り、エリヤを殺すと宣言した。エリヤは逃げ出し、ホレブの山に着いたのです。 主は言われた。山の中で主の前に立ちなさい。主が来られる。すると主がご自身を現されたのです。激しい風が起こった。山を裂き、岩を砕いた。しかし、その風の中には主はおられなかった。その後、地震が起きた。しかし、その中にも主はおられなかった。その後、火が燃えさかった。しかし、主はその中にもおられなかった。 沈黙があった。かすかな沈黙をエリヤは主の声と聞いた。 神様は及びもつかない力を持っておられる。
神様は力でご自分を示されるのでしょうか。激しい風を起こされた、地震を起こされた、火の海になった。エリヤはその中に神のみ心を見つけることが出来なかった。静かな時が来た。エリヤは耳を澄ませた。静かな、かすかな沈黙があった。その沈黙がエリヤを呼んだ。出来事を包む沈黙を聞いたのです。

神様は沈黙を求めておられるのだと思います。

福音書にペトロを見たいと思います。
イエスの周りに集まった人々にイエスは語り続けます。神様のみ心を語る。いのちの不思議を語る。いのちの素晴らしさを語る。そして、救いについて語るのです。夕暮れになりました。食事の時です。人々が村に食べ物を買いに行く、いや、あなた方が人々に食べ物を与えなさい。イエスはいのちのパンを与えられた。食べた人は皆、満 腹した。

いのちのパンはご聖体です。パンが生きていると信じますか。パンとなってあなたの心と体に入りたい。わたしはあなたが食べるパンになります。わたしを噛みしめて、人を愛するわたしの命を食べてください。

イエスは、弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸に向かわせた。イエスは一人、祈るために山に登られた。深く、深く祈っておられる。 舟は湖の上で逆風のため波に悩まされている。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは湖の上を歩く人が舟に近づく姿を見た。幽霊だと言って怯えた。恐怖のあまりその人が見えない。イエスが声をかけた。安心しなさい。わたしである。エゴ エイミ。

何を恐れているのですか。死にたくない、傷つきたくない。身を守りたいから恐怖に陥っているのですか。わたしである―これは神様の名前です。神様の内にいる。何も恐れることはない。

ペトロは言います。主よ、あなたは湖の上におられます。わたしに命令して、水の上を歩かせてください。あなたのもとに行かせてください。 来なさい。  ペトロは舟から降りて、水の上を歩いた。しかし、強い風に気が付いて、怖くなり、沈みかけた。ペトロは叫んだ。「主よ、助けてください。」
イエスは言う。信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか。 イエスが舟に乗り込むと、風は静まった。

肉にとどまる限り、キリストに出会えない。 苦しみなさい。悲しみなさい。苦しんで苦しんで苦しむ。悲しむ。悲しんで悲しんで悲しみなさい。その時、主に助けを求める。小さい、弱い自分がいる。出来事を包んでいるのは神様です。苦しみ、悲しみは信仰の扉ではないですか。神様は苦しんでいる、悲しんでいるあなたを見ています。



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