「十字架称賛」説教
2014年9月14日・加藤 英雄師


 

  今日は十字架称賛、十字架を褒めたたえる日です。でも考えてください。十字架を褒める。これはおかしな話ではないですか。 ある人が、ある男の人に損を与えた。ある人はこの野郎と言って男の人を殴った。男の人は大勢の人の前で殴られた。殴った人はお前なんかいない方がいいと宣言する。しかし、男の人はその人に何も悪いことはしていない。
十字架称賛は殴った人を褒めなさい。ありがとうと言いなさい。殴った人はわたしたち、殴られた人はイエスです。 十字架にかかった方はわたしたちの主・神の子イエスなのです。
イエスは言われます。自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい。(マタイ16・24)十字架を背負うという時、勘違いしてしまうところがあります。十字架を背負って歩く、その十字架は自分の罪の十字架ではありません。 自分に不幸をもたらす十字架を背負うのではありません。 自分がこんな家に生まれた。自分がこんな障害を持っている。こんな運命に惑わされている。それが生活に重くのしかかっている。幸せになれない。それらが十字架となって自分が背負って行くのだと思っていた。 それはイエスの言われる十字架ではない。わたしたちが背負いなさいと言われている十字架ではない。
つながりの中で生まれてくる重荷が十字架となるのです。わたしたちはつながりの中で生きています。生きる=信仰生活を送る。信仰生活はつながりです。
①神様と人とのつながり。 ②自然と人とのつながり。 ③人と人とのつながり。
人はつながりの中で生きています。つながりの中で愛、慈しみ、憐みが生まれます。 生きていゆけない人がいます。不当に扱われている人がいます。その人が生きるために手伝いをする。それが十字架の荷物となるのです。
第一朗読 民数記を読みます。  イスラエルは荒れ野を歩いている。荒れ野はすべてが不自由、不便です。食べ物が十分にはない。命を支える水がない。いさかいが起きる。こんな旅はもう我慢できない。 イスラエルの民はモーセと神に逆らって言う。エジプトから導き出し、荒れ野を歩かせるのは、我々を飢え死にさせるためですか。こんな苦労はもう嫌だ。もう歩きたくない。 主は民に炎の蛇を送られた。蛇は民を噛んだ。多くの死者が出た。 民は言った。わたしたちはモーセ、そして神様に逆らい、罪を犯しました。わたしたちから蛇を取り除いてください。 主はモーセに言われます。炎の蛇を造り旗竿の先に掲げよ。蛇に噛まれた者がそれを見上げれば、命を得る。その蛇は毒蛇。炎の蛇、蛇に噛まれると火のような痛みが襲う。モーセ、神様に不満がある者を蛇は噛む。
民よ、もう荒野に道を歩きたくないと言うのか。あなたがたは神様に導かれる道を通って、神様の示される土地、イスラエルに行くのです。この道はあなたがたのため以上に、あなたの子、孫が生きるためです。あなたも子も、エジプトの奴隷として生きるのではない。 荒れ野を歩く。苦しみなさい、悲しみなさい。っ苦しみ、悲しみを乗り越えてイスラエルの地に行き着くのです。  炎の蛇が掲げられている。炎の蛇を見続けなさい。あなたを苦しめる炎の蛇に頭を下げ、礼拝しなさい。
民は蛇によって苦しんだ、死んだ。しかし、蛇は神様が送られたもの。その蛇を拝む。蛇からの痛みは神様の思い。痛みを通して神様の思いを知る。蛇に頭を下げる。蛇を見つめて自分の犯した悪を思い巡らしなさい。

今わたしたちの住んでいるこの世は荒れ野ではないでしょうか。わたしたちは神の国へ向かって歩いています。与える者として歩いているでしょうか。
神様とつながりなさい。自然とつながりなさい。人とつながりなさい。それが信仰だと言いました。イエスの姿にまことの信仰を見ました。神様との深いつながり、そして、自然を大切にされた。人を愛されました。すべての者が生きる。生き生きと生きる命を大切にされました。国を管理する者、教会を支配する者は、自分たちの欲求を戒めるイエスは要らない者とし、イエスを十字架に付けたのです。 十字架の上のイエスを見つめます。十字架のイエスは炎の蛇ではないかとヨハネの福音書は言うのです。 神様がイエスを十字架にかけたのは、イエスの苦しみ、命によって世が救われるためである。
十字架称賛。 イエスは言われました。自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。イエスは神様なのにすべてを人に奪い取られた。苦しんでいのちも奪われた。しかし、すべての出来事に神様の思いがある。 与えなさい。愛は与えることです。イエスの毎日の生活は与える事でした。渇いている人、飢えている人に心を与えた。言葉を与えた。癒しの業を与えた。ついには十字架によって命を奪われた。友と呼んだ弟子たちを奪われた。イエスは自分の全部を奪い取られました。イエスは与え尽くした。神様はそれを善しとされました。
このイエスによって永遠の命、神様の命が与えられたのです。

あなたも自分の十字架を背負っていますか。



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