「年間第29主日」(A年)説教
2014年10月19日・加藤 英雄師


 

   今日のイザヤ書は、ペルシャ王キュロスのバビロン征服を語ります。神様は善の力です。人々に善を行うように導きます。人の前にはいつも善と悪がある。善は厳しい道。悪は緩やかな、楽しい道。しかし、あなたは善を選びなさい。しかし、神様は善の力、悪の力のすべてを行うことが出来るのです。出来事はすべて神様からのものです。善い出来事、悪い出来事。出来事がわたしたちに与えられる。善い出来事が与えられる。嬉しい。悪い出来事が与えられる。試練として受け止める。悪が与えられた、それは試練の時。悪と戦い、悪を乗り越え、悪に善を示しなさい。
  神様はペルシャの王キュロスを選ばれた。キュロスによってバビロンにいるイスラエルを解放する。 主は言われます。わたしはキュロスに油を注いだ。わたしは、キュロス、あなたの名を呼んだ。あなたに称号を与ええた。しかし、その出来事をあなたは知らない。
  そして、実にペルシャ軍はバビロンい無血入城したのです。
  人々は見ることになる。ペルシャ王キュロスによってイスラエルのバビロン捕囚は解放された。
わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。
イエスは毎日、町に出て、人々に神様を語っています。神様のみ心語ります。
神様はどこにいますか。あなたの横にいます。あなたの後ろにいてあなたを支えています。神様はわたしたち一人一人を心にかけ、心を見ています。生きている姿を見ています。あなたは生活を喜んでいますかと話しかけているのです。悲しんでいる人、苦しんでいる人は神様に語りなさい。神様はわたしたちのお父さん、お母さんです。
ファリサイ派の人々、ヘロデ派の人々はイエスに問うのです。あなたにとって律法とは何ですか。あなたは律法の外にいるのですか。神様は律法の内にみ心をあらわしているのではないですか。律法をきちんと守ることによって神様と出会うのではないですか。律法をないがしろに出来ない。
 ファリサイ派の人々、ヘロデ派の人々はイエスの語る言葉に宿る神様の豊かさ、憐みの心を認めない。イエスの業に神様の慈しみを認めない。
イエスを神を冒涜するものとしてとらえ、殺してしまいたい。イエスは神様からのものではないと宣言したいのです。ファリサイ派の人々、ヘロデ派の人々はイエスのところに行って尋ねます。
「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか。」 イエスは言われます。なぜ、わたしを試そうとするのか。 ファリサイ派の人たちよ、神様の憐みを語り合おうではないか。清さについて語ろう、祈りについて語ろう、すべての祝福の源となるイスラエルの信仰の道について語ろうではないか。 皇帝に税金を納めることは律法にかなっているのかと問うのか。 デナリオン銀貨を見せなさい。これは誰の肖像と銘か。皇帝の肖像と銘です。皇帝の肖像は皇帝に返しなさい。神の姿であるあなた方は神に帰りなさい。肖像と姿は同じ言葉です。あなたの心に神様の姿が刻印されています。人は神にかたどって、神様の似姿として造られた。神の姿を持つあなたは神に帰りなさい。 神様は人に心を与えられた。すべての人に心を与えられた。それも神様の心を与えられたのです。
すべての出来事を大きな心をもって受け止める事が出来ますように。
  


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