「主の降誕(日中のミサ)」(B年)説教
2014年12月25日・加藤 英雄師


 

 おめでとうございます。イエス様の誕生をお祝いします。 神様が人となる。本当に不思議な出来事です。何でも出来る神様が、何も出来ない人となるのです。人は小さいもの、弱い者です。だから毎日が精進の生活です。隣人のために働こう。隣人につながって、自然とつながって、隣人のために働く、自然のために働くのです。小ささが、弱さが出発点です。神様が人となられた。赤ちゃんとしてお生まれになった。神様の不思議を思い巡らしたいと思います。

<イザヤ9・5cf>
「ひとり子が生まれ、ひとりの男の子がわたしたちに授けられた。
その肩には主権があり、その名は永遠のみことばと呼ばれる。」
 この子はあなたたちのために生まれたのですよと教えられました。この子はわたしたちのために何をするのですか。この子をじっと見つめなさい。この子は神様のいのちです。この子はいのちを示しておられる。生きている喜びがある。微笑みがある。この子の微笑みが、この子を見ているわたしを包む。 その子の名はイエス。主は救いという意味。その子の中に救いがある。その子の中に入って行きます。

[イザヤ52・7‐10]  
善い知らせを知った者は、善いその出来事を話します。出会った人たちに話します。喜びをもって、輝きをもって、生き生きと伝えます。 その姿は美しい。その人は喜びの内にいる。その人と出会い、その人の話を聞くと暗い心に光があたるように、微笑みが浮かんでくる。
すべての人に善い知らせを告げ知らせたい。その人はわたしたちです。
神の子イエスがお生まれになった。

[ヘブライ1・1‐6]
 神様は人となって世に来られた。預言者によって導かれていた。今日、この時、人となって人とつながる。一緒に生活をなさいました。人は見える神様を見た。神様は目の前に人を見ている。
人は生きるとは何かを知る。愛するとは何かを知る。人は支えられていることを知り、支える者となりたい心が芽生える。人となられた神様を見た、知った。 
その方の名はイエス。イエス様はこの世で喜んだ、悲しんだ、苦しみを受け取ったのです。 わたしたちはその方から愛された。いのちをかけて愛された。その方を愛します。いのちをかけて愛します。

[ヨハネ1・1-18]  
初めに言があった。言によっていのちが生まれる。言によっていのちが見えるもの、見えないものとなる。いのちは光である。光は暗闇を照らす。光は命の素晴らしさを照らす。言は人となり世に来られた。言である人は言う。人は肉でなく、霊によって生まれなさい。言であるその方は人となってわたしたちと共に生活されたのです。この方は人でありながら、天の父のいのちのうちに生きている、いのちを持っておられる言です。 この方に満ち溢れる豊かさを見ます。この方はわたしたちに声をかけ、呼ばれている。わたしの中に入りなさい。今のあなたの場所から神の国に向かって一緒の歩きましょう。平和という荷物を背負って、正義という荷物を背負って歩きましょう。愛の内に歩みます。


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