「主の公現」説教
2015年1月4日・加藤 英雄師


 

  闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。そして言われます。あなたを照らす光は昇る。
この社会は暗闇ではないですか、と言われます。いえ、わたしたちは自由な社会にいる。人はそれぞれ自分の自由を求め、自由を楽しんでいる。 この間テレビでこんな話題を見ました。若者の食生活が乱れているというのです。ある女学生の食生活なのですが、お昼はどうしていますかと聞かれて、コンビニで軽くスナックを買って食べますと答えます。いつもそうですか。そうです。収入が少ないからだと思っているとそうではない。お金は買いたいバッグや化粧品に使うのだそうです。 これも自由ですか。自由の喜びですか。
遊ぶために苦労している。自分の自由のために苦労している。この社会に、自由に物が手に入るこの社会に何を求めているのですか。人が求めている自由は欲求のための自由ではないですか。刺激を求める、ファッションを求める。 わたしたちの社会は物をたくさん作ることの出来る社会です。物を選ぶ自由を楽しんでいる。いや、物があるのに物に追われている。心に平安がない。暗闇です。  物が豊富にあるこの社会に住んでいて、おおらかに、ゆったりと心を求めて暮らせればいいのではないでしょうか。 わたしたちの求めている自由とは欲求からの解放だと思うのです。欲求は心を縛ってしまいます。自分しか見えない。自由は心が欲求から解放される事ではないでしょうか。
  自由を知った時、隣人が見える、自然の豊かさ、美しさが見える、いのちの尊さ、温かさ、そして、一緒に生きる喜びを知るのです。  イエス様の言葉が心に入って来ます。この社会に何を求めているのかではなくて、この社会を造って行く、この社会が心を大切にする場となるように、働くのではないですか。

光を求めている人がいます。清さを求める、正義を求める人がいる。東方の博士がそうだったのではないでしょうか。世界を変える王、正義と平和をもたらす王が生まれた。星によってその出来事を知った。イエスという名の子が生まれた。この出来事はユダの地、小さな田舎の村、ベツレヘムで起こった小さな小さなことだったのではないのです。イエスの誕生は世界の出来事です。
光の出来事です。

わたしたちは光を求めています。わたしたちは平和を求めている、正義を求めている。平和という光、正義という光を求めているのですか。みんなが仲良く、互いに思いやりを持って生活できればいい。みんなが、食べることが出来、笑うことが出来ればいい。ちょっと外国を見ると、食べられない人がいる、戦争が起こっている、父さん、母さんと一緒に暮らせない子供たちがいる。
光とは平和ですか、正義ですか。神様のみ言葉ですか、業ですか。

神様のみ心のロウソクが立っている。み言葉のロウソク、業のロウソクがわたしたちの前に立っている。暗闇の中の一つのロウソクです。そのロウソクが見えたらいい。そのロウソクから光をもらってわたしたちが光る。光に出会った。光に出会ったあなたが光のために働くのです。一つのロウソクからみんなが光るものとなる。

悪を行う者は敵ではありません。光を知らないのです。わたしたちの悪口を言う者、傷つける者、利益ばかり追うもの、悪を行う者は敵ではありません。神様は人を造られた。愛によって人を生きるものとされたのではないでしょうか。神を知らない者、温かさがない者、悪を行う者も神様がいのちを与えられているのです。光は生きる喜びです。愛の力です。悪い者を愛しなさい。悪い者とつながる。悪い者が温かさ、赦し、希望、喜び、いのちの尊さを知ったらいい。光を知るのです。
光を知らせるのはわたしたちです。
わたしたちは正しい者ですか。希望のうちに生きていますか。喜んで毎日を生きていますか。まだまだキリストの内に深く入っていない。時々ちょっとした悪い事をしてしまう。取り返しのつかなかい事をしてしまう。イエスはそれを苦笑いをして見ている。悪い事をしても人は皆父さんの子です。

父さん、あなたの子イエスに光を見ました。光が世界に行き渡りますように。


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