「年間第2主日」(B年) 説教
2015年1月18日・加藤 英雄 師

 

   ヨハネは二人の弟子と一緒に町の往来にいた。イエスが歩いているのが見えた。ヨハネはイエスを見つめながら言う。「見なさい、神の小羊だ。」 
ヨハネはイエスの洗礼を授けた。その時、イエスの姿を見た。主は言われたのです。「これはわたしの愛する子。わたしの心に適うもの。」(マタイ3・17) イエスは神の小羊。イエスは神様のもの。神様のための供え物。ついには、民の罪をすべて羊に負わせて、屠り場に引いて行かれる小羊。(イザヤ53・7)
ヨハネの言葉を聞きながら、弟子の二人はイエスを見た。イエスの姿に引きつけられた。イエスに向って歩いて行く。イエスに従って歩く者となる。イエスは振り返り、二人の青年が自分に従って来るのを見て、二人に何を求めているのかと言われた。
道を求めている二人の弟子、アンデレとヨハネはイエスに重さを感じた。イエスは二人を見て言う。何を求めているのか。 わたしたちにも問われているのではないでしょうか。イエスに従って歩いているわたしたちはイエスに何を求めているのか。聖書を読む、祈る。何を求めて聖書を読むのか、何を求めて祈るのか。
二人はイエスに問います。ラビ、どこに泊まっておられるのですか。 泊まるとは:生活だと思うのです。先生、あなたに深さを見ます。あなたに神の力を見ます。あなたを知りたい。先生あなたはどのような生活を送ってるのですか。あなたの生活は何を求め、何のために働いているのですか。 イエスは言われます。来なさい。そうすれば分かる。 イエスを知りたいと思うなら、イエスと一緒に歩く、イエスと一緒に生活することです。来なさい、座っていて知るのではない。
イエスを知るとは、イエスの中に入る洗礼ではないかと思うのです。体によってイエスを知るのです。
二人はついて言った。イエスのもとに来た。夕食をとり、語り合った。イエスのもとに泊まった。
二人の弟子の一人、アンデレは兄弟シモンに言った。「わたしたちはメシアに出会った。」 アンデレはイエスの中に入った。イエスのものになった。アンデレはシモンをイエスのところに連れて行った。イエスはシモンを見つめた。そして言われる。あなたをケファと呼ぶことにする。ケファは岩という意味です。
二人の弟子、アンデレとヨハネはイエスのもとに泊まった。イエスに神様の重さを見た。今日のコリントの教会への手紙は語ります。わたしたちは自分の体で神の栄光を現すのです。 体は自分の快楽を求めるためにあるのではありません。体は見えるもの、人同士たがいに呼び求めるためにあるのです。それ以上に、主の思いを現すためにあるのです。主の思いを受け取り、体で現すのです。体は自分の欲求を求めるのではなく、それ以上に、主の思いを求めているのです。
そして言います。わたしたちの体は主の神殿です。神様がわたしたちの体、わたしたちの神殿に宿ってくださいます。

イエスが歩いておられる。イエスがわたしたちに声をかけておられる。わたしたちを呼ばれている。心を新たにして、イエスのもとに行きます。イエスから示された道を歩みます。

イエスの洗礼を受ける。イエスのもとに泊まる事ではないでしょうか。イエスがわたしたちの中に住んでくださる。



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