「四旬節第2主日)」(B年)説教
2015年3月1日・加藤 英雄師


 

  神様はアブラハムに試練を与えられました。 あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしの命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。
アブラハムはそれを静かに聞きます。神様はわたしに子を与えると約束をされ、ついにイサクを与えてくださったのではないか。神様はわたしの義を認めてくださった。あなたの子があなたの家を継ぐと申されました。イサクはわたしの愛する子、わが部族を継ぐ大切の息子。しかし、神様は与えられ、また、取られる。
アブラハムは息子をつれモリヤの地に行きました。モリヤとは神の啓示という意味だそうです。山の頂上に着いた。アブラハムは息子イサクを縛った。薪の上に載せた。手を伸ばし刃物をとった。刃物をイサクに向けて降り下ろそうとした時、天からの主の御使いが、アブラハムに力強く声をかけかけられた。その子に手を下してはならない。そして、言われます。あなたは自分の大切にしているものを屠ろうとした。神様の命じられた言葉に従って、自分の命より大切にしていた息子を主の献げものとしてささげようとした。わたしはあなたの義の姿を見た。ありがとう。あなたを祝福する。あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。アブラハム、あなたの子イサクはあなたの慰めのためではない。世界の人々に神様を知らせるための子、アブラハム部族のための子ではないのですか。

神様はアブラハムを、また、義の者とされました。義とは何にも増して神様の思い、言葉を守ることです。自分が大切だと思う心を超えて神様の言葉がある。

福音を読みます。 イエスはペトロ、ヤコブそしてヨハネを連れて、高い山、タボル山に登ります。山頂に着いた時、イエスの姿が変わりました。イエスの服が真っ白に輝いたのです。エリヤとモーセが現れて、イエスと語り合っている。ペトロは驚く、興奮してイエスに言います。先生、ここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。その時、雲が現れて三人を包み、雲の中から声がしました。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 時が、モーセの歴史、エリヤの歴史を越えて、イエスに集まった。イエスによってモーセ、エリヤが完成されるのです。 イエスは弟子たちに命じて、言われます。この出来事は、人の子が死者の中から復活までは、誰にも語ってはいけない。弟子たちはこの出来事が何なのか分からなかった。復活とは何か分からなかった。

第一朗読は創世記アブラハムのイサクの奉献の物語です。アブラハムは一番大切にしていた息子を神様への献げものとした。それが義でした。何もかも捨てて神様を大切にする。義の道です。
あなたの一番大切にしているものは何ですか。命より大切なものがありますかと問われます。
命より大切にする。 その前に、あなたの命はどこから来たのか考えたことがありますか。命は自分で得た物ではない。神様から注がれたもの。わたしたちは神様によって生きている。その大切なものは、それが心に体に響いている大切なものは、神様から頂いた命より大事だと言えるのですか。
 人は裸で生まれた。裸で生きなさいと、主は言われているのです。何も持たない、自分には何もない。その姿が求められているのではないでしょうか。

弟子たちは、白く光り輝くイエスの姿を見た。モーセとエリヤを越えるイエスの姿を見た。
 何も持たないイエスの奉献が栄光に輝いている、イエスの姿が全くの義であることを思い浮かべるのです。イエス、あなたに命より大切なものがありますか。あります。人の生き生きと生きる命です。そして、人々にその命を与えるために、わたしは自分の命を捨てます。神様から注がれたわたしの命は、自分を生きるための命ではありません。人の命が生きるための力なのです。

イエスは弟子たちに言われました。今見たこの出来事を忘れてはいけない。弟子たちは何が起こっているのか全く分からなかった。しかし、イエスの復活を知った時、この栄光が分かった。


戻る