「四旬節第4主日)」(B年)説教
2015年3月15日・加藤 英雄師


 

  [歴代誌下36‐14‐16,19‐23]
    南ユダの王となった。自分に力が与えられた。ユダの王は神様のみ心を人々に伝える。
神様のみ心を王の力によって、大いに行うことが出来る。神様から王に指導力が与えられている。平和を求めなさい。弱いものを助けなさい。神様のみ心を行う。王は神様の下にある。
しかし、力が与えられた。人々を動かすことが出来る。弱い国に侵入することが出来る。
自分の欲求を、人の力を使って、満足させることが出来る。
誰も力ある王に反対する事が出来ない。
しかし、王の自己流に苦情を言うものがいる。預言者である。神殿である。
神様の思いによって王を批判する。自分の力のうちに行う王の国は乱れる。
力が支配するようになって来る。力によって隣人関係がつくられるようになる。
人々は力を求める。神様を嘲笑う国となる。
 神様はついにユダの国を亡ぼす。バビロニアがユダを支配下におく。
ユダの有力者、力ある政治家、商人、そして、祭司、律法学者がバビロンに連れ去られた。
神殿が壊された。ユダの国が亡くなった。
 これは恵みの時ではないかと主は言われます。
祭司、預言者にとって、バビロンでの生活は神様との対話であった。
ユダが滅ぼされたように見た。ユダを守っていた神様が滅ぼされたのか。
いや、そうではない。
わたしたちの思い、行いが神様から離れて行ってしまった、わたしたちが神様から離れて行ってしまったのだ。この出来事はわたしたちに対する試練なのだ。
70年の捕囚の生活、この期間を聖書は安息の時といいます。
神様と過ごす時、それが安息。
そしてついにバビロニアを征服したペルシャ王キュロスは布告します。
天におられる主がわたしに地上のすべての国を賜った。この主がわたしにユダのエルサレムにご自分の神殿を立てるように命じられた。
主の民に属する者は誰でもエルサレムに上って行くがよい。

神様がわたしたちを見ておられる。わたしを見ておられる。 あなたが王であるなら王の役割を果たしなさい。あなたが神様の僕として生きるなら、僕の役割を果たしなさい。
あなたは神様の前に生きる者。神様の道具となって生きなさい。

[エフェソ2・4‐10]
  わたしたちに必要なものはすべて用意されていた。その中に生きなさいといのちが与えられた。神様に支えられて生きている。生きるつながりを持つ、それが愛だと知った。
神様にこれ程までに愛されている。

 キリスト・イエスが目の前におられる。その方の姿を見た。その姿に愛を見た。
イエスの姿、歩かれた道は善い業の道。その道を歩む。
わたしたちは神様の用意された良い業を行うために、その道を歩くために、キリスト・イエスにおいて造られた者なのです。
イエスの姿が信仰の姿、イエスの歩いた道が信仰の道です。

[ヨハネ3・14‐21]
  荒れ野でモーセが青銅の蛇を上げた。(民数記21・4-9)
  イスラエルの荒れ野の旅が続いている。民が耐え切れなくなって、神様とモーセに逆らって言った。われわれを荒れ野で死なせるのですか。
パンも水もない。こんな粗末な食べ物では気力も失せてしまいます。
主は炎の蛇を民に向かって送られた。 蛇は民を噛む。多くの死者が出た。
民は言う。わたしたちは神様とモーセを信じなかった。不平を言った。非難した。罪を犯しました。わたしたちから蛇を取り除いてください。主に祈ってください。
主はモーセに言われた。あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。
蛇に噛まれた者がそれを見れば命を得る。

人の子も上げられなければならない。
蛇の誘惑に噛まれた者は、人の子の姿を見なさい。 皆の前に、これ見よがしに示された十字架のイエスを見なさい。
蛇は知識を求める。社会の中の平安を求める。
信じるとは知識を捨てることです。
旗竿に掲げられた、十字架に付けられた者を信じることが出来ない。
粗食を食べる物、貧しさを求める者を信じることが出来ない。
人の子の姿を見なさい。愛を語った。憐みの業、病を癒し、悪霊を追い出した。 人の子によって神様からの安心を知る。救いを知る。社会の救い、自分の救い。信じなさい。
粗食を食べる道、貧しさを求める道を信じなさい。
人の子は神様から送られた神の子であると信じます。
光の方だと信じます。
イエスの姿に光を見ます。神様への道だと信じます。


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