「四旬節第5主日)」(B年)説教
2015年3月22日・加藤 英雄師


 

  第一朗読エレミヤ書を読みます。 
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来ると主は言われる。
神様からの契約、これは神様からの大きな恵みです。神様がわたしたちにいのちを与えられた。わたしたちは神様の命によって生きるものとなった。神様は言われる。生きなさい。生き生きと生きなさい。神様とのいのちのつながり。このいのちのつながりが神様からの愛。命、愛が神様からの契約です。 しかし、今、新しい契約が結ばれる、新しい契約が与えられるという。いのちの喜びが取り去られてしまうのですか。神様は言われるのです。全く新しい出来事によって、常識をはるかに超える新しさによって、人々は愛を知る、いのちを知るのです。神様のみ心がわたしたちの胸の中に、心に刻まれる。主がわたしたちに入って来る。、主の姿がわたしたちの心と体に入ってくる、心と体に刻まれるのです。

神様は言われます。わたしは栄光を現した。再び栄光を現そう。わたしたちは神様によって与えられたこのいのちに神様の愛を感じています。わたしたちが道を見失った時、エジプトで奴隷であった時、人の命の尊さを忘れてはいけないとエジプトからの脱出を導かれました。人の命は神様からの恵み、人は人の奴隷となってはいけない。人は人を奴隷としてはいけない。命への出発、これが神様から与えられた栄光。そして、これ以上に驚くほどの新しい契約を与える。新しい栄光を与える。驚くほどの栄光、あっ、イエス様だと思うのです。

わたしたちはキリスト・イエスに出会いました。神様を語り、神様の業を示されています。神様は神様のみ心である方をわたしたちに送られた。イエス様によって新しい世界に出発する。神様が人となってわたしたちを導かれる。それこそ新しい契約ではないでしょうか。

信仰の都エルサレムでイエス様が言われるのです。人の子が栄光を受ける時が来た。信仰の都エルサレムでわたしは神様からの栄光を示す。それはわたしの命を神様への献げものとすることです。命をささげることが多くの実を結ぶのです。イエスは一粒の麦のたとえを語ります。「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ。」
命のうちに生きる、命を捨てる。隣人のためにいのちを捨てる。わたしに仕えようとする者は、わたしに従いなさい。
命を捨てる、苦しい、恐ろしい事です。父よ、わたしをこの時から、この事から救ってください。いや、わたしはこの時のために来たのだ。

神様のみ心であるキリスト・イエスがわたしたちのためにいのちを献げます。それが神様が示される栄光。わたしたちはイエスの姿を見ます。犯罪人として十字架に付けられているキリスト・イエスを見ます。イエスの十字架の姿を見つめます。イエスがわたしたちに示された世界を見つめます。イエスに神様の栄光を見た時、十字架に神様の栄光を見た時、イエス様は言われます、この世が裁かれる。この世の支配者が追放される。

あなたはこの社会に何を見ていますか。あなたは自分の命に何を見ていますか。神様に従う、イエスに従いなさい。


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